名古屋地方裁判所 平成5年(ワ)622号 判決
原告 A
右訴訟代理人弁護士 小島高志
同 田原裕之
同 小野万里子
被告 国
右代表者法務大臣 保岡興治
右指定代理人 池田信彦
同 家田弘
同 近藤知里
同 大藤朗
同 渡邊志朗
同 安江邦雄
同 佐々木正士郎
同 鈴木力
同 山田藤夫
主文
一 被告は、原告に対し、金一〇〇万円及びこれに対する平成四年一二月一六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は、これを一五分し、その一四を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。
四 この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。
ただし、被告が金一〇〇万円の担保を供するときは、右仮執行を免れることができる。
事実及び理由
第一請求
一 被告は、原告に対し、金一五六七万〇七〇〇円及びこれに対する平成四年一二月一六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 被告は、原告に対し、別紙目録記載の謝罪文を建設省公報誌「職員」及び中部地方建設局広報誌「中部地建だより」の各一面右上部に一二ポイント活字で各一回掲載せよ。
(なお、被告は、仮執行宣言が付される場合には、担保を条件とする仮執行の免脱宣言を求めている。)
第二事案の概要
本件は、中部地方建設局長により、昭和四六年一〇月一六日に一般職の職員の給与等に関する法律(以下「給与法」という。)六条一項一号ロに規定する行政職俸給表(二)(以下「行(二)表」といい、同表適用職員を「行(二)職員」という。)を適用される定員外職員たる準職員(常勤労務者)に任用されて以降、建設省愛知国道工事事務所(以下「愛知国道工事事務所」という。)等に勤務して行(二)表の適用を受けてきた原告が、平成四年一二月一六日に給与法六条一項一号イに規定する行政職俸給表(一)(以下「行(一)表」という。)を適用される定員内職員(以下、行(一)表適用職員を「行(一)職員」という。)に任用されるまでの間、恒常的に行(一)表適用職務に従事してきたとし、このような場合、任命権者としては担当職務の実態に適合させるために原告を行(一)職員に任用すべき義務がある、仮に、人事権の行使が裁量事項であるとしても、行(一)職員に任用することなく恒常的に行(一)表適用職務に従事させることは裁量権の著しい逸脱ないし濫用に当たるから、いずれにしても、遅くとも昭和五五年一〇月一日までに原告を行(一)職員として任用しなかったことは違法であるとし、仮に、行(一)職員に任用しなかったことが裁量権の著しい逸脱ないし濫用に当たるとはいえないとしても、行(二)職員をして恒常的に行(一)適用職務に従事させることは違法であり、このような違法行為によって損害ないし損失を受けたとして、主位的に国家賠償法一条一項による損害賠償請求権に基づき、昭和五五年一〇月一日から平成四年一二月一五日までの行(一)職員との賃金差額分一〇六七万〇七〇〇円及び慰謝料五〇〇万円の支払と建設省等の広報誌への謝罪広告の掲載を、予備的に不当利得返還請求権に基づき、右賃金差額分の支払を請求している事案である。
一 争いのない事実等
1 原告(昭和八年五月三日生)は、昭和三二年八月一四日、建設省名古屋国道工事事務所(以下「名古屋国道工事事務所」という。)本宿出張所に定員外の非常勤職員(日々雇用)として採用され、昭和三六年七月一日、定員内職員である建設事務官行政職(一)八等級に配置換されたが、昭和四三年五月一五日、自己都合により退職した。(甲四〇の1、5、一八〇、原告本人)
2 原告は、昭和四六年八月一六日、愛知国道工事事務所長により、非常勤職員(日々雇用)として任用され、同年一〇月一六日、中部地方建設局長により、人事院規則八-一四(非常勤職員等の任用に関する特例)四条に規定する「二箇月以内の任期を限られた常勤職員」である労務員(行政職(二)五等級)に転任され、以後、給与について行政職俸給表(二)の適用を受けるようになったところ、その適用号俸は、次のとおりであった。(甲四〇の6、四八、一八〇、原告本人、弁論の全趣旨)
昭和四六年一〇月一六日 五等級一六号俸
昭和四八年一月一日 五等級一七号俸
昭和四九年一月一日 五等級一八号俸
昭和四九年四月一日 四等級一四号俸
昭和五〇年四月一日 四等級一五号俸
昭和五一年四月一日 四等級一六号俸
昭和五二年四月一日 四等級一七号俸
昭和五三年四月一日 四等級一八号俸
四等級一九号俸
昭和五四年四月一日 四等級二〇号俸
昭和五五年四月一日 四等級二一号俸
昭和五六年四月一日 四等級二二号俸
昭和五七年四月一日 四等級二三号俸
昭和五八年四月一日 四等級二四号俸
昭和五九年四月一日 三等級一四号俸
三等級一五号俸
昭和六〇年四月一日 三等級一六号俸
三等級一七号俸
昭和六〇年七月一日 二等級一七号俸
昭和六一年四月一日 二等級一八号俸
昭和六二年四月一日 二等級一九号俸
昭和六三年四月一日 二等級二〇号俸
平成元年四月一日 二等級二一号俸
平成二年一〇月一日 二等級二二号俸
平成四年一〇月一日 二等級二三号俸
なお、人事院規則八-一四(非常勤職員等の任用に関する特例)四条に規定する「二箇月以内の任期を限られた常勤職員」とは、定員外の常勤職員であって、一般には「常勤労務者」と呼ばれているが、建設省においては、準職員あるいは厚生福祉職員と呼んでいた。
3(一) 原告は、昭和五四年一二月ころ、原告が当時加入していた全建設省労働組合(以下「全建労」という。)の支援を受け、「昭和四六年一〇月一六日に建設省に人省して以来、行(一)表適用職務に従事しており、俸給表について行(一)表を適用することを求める。」として、国家公務員法(以下「国公法」という。)八六条に基づき、人事院に対して行政措置要求をなしたところ、人事院は、原告の右行政措置要求について、昭和五五年二月七日、原告の職場に赴いて実態調査を行うなどして調査を進めた。
(二) 原告は、昭和五五年七月ころ、全建労と中部地方建設局(以下「中部地建」ともいう。)との交渉等を経て、同年に実施される行(二)職員から行(一)職員への配置換(以下、この配置換を「職転」ともいう。)のための職転研修及び試験を受けられることになったことから、右行政措置要求を取り下げ、同年八月五日から同月七日にかけて実施された職転研修及び試験を受けたものの、職転は認められなかった。
4(一) 原告は、昭和六三年一一月二四日、人事院に対し、俸給表について行(一)表を適用することを求めて、二回目の行政措置要求をなした。
(二) 原告は、平成四年一二月一五日に準職員を退職し、同月一六日、定員内職員である建設事務官行政職(一)四級に任用され、以後、給与について行(一)表の適用を受けるようになった。
5 原告は、平成六年三月三一日、国公法八一条の二第一項により、定年退職した。
二 争点
1 原告が従事してきた職務が行(一)表適用職務に該当するか否か。
2 国家賠償法一条一項による損害賠償請求の成否
(一) 公権力の行使に当たる行為の違法性(請求原因)
(二) 損害(請求原因)
(三) 謝罪広告(請求原因)
(四) 消滅時効(抗弁)
(五) 権利濫用(再抗弁)
3 不当利得返還請求の成否
(一) 損失と利得(請求原因)
(二) 法律上の原因(請求原因)
(三) 悪意(請求原因)
(四) 非債弁済(抗弁)
(五) 消滅時効(抗弁)
(六) 権利濫用(再抗弁)
三 争点に関する当事者の主張
1 原告が従事してきた職務が行(一)表適用職務に該当するか否か。
(一)原告の主張
(1) 原告は、昭和四六年八月一六日に愛知国道工事事務所長により非常勤職員として任用され、同年一〇月一六日に中部地方建設局長により準職員たる労務員への転任、平成四年一二月一六日に建設事務官行政職(一)四級への任用を経て、平成六年三月三一日に定年退職するまでの間、その所属、官職及び担当職務は、次のとおりであった。
<1> 昭和四六年八月一六日から昭和四六年一〇月一五日まで
所属 愛知国道工事事務所豊橋出張所
官職 非常勤職員
担当職務 出勤簿等の勤務条件関係業務、来庁者との対応等の受付業務、事務所との連絡などの一般事務
<2> 昭和四六年一〇月一六日から同年一二月二六日ころまで
所属 愛知国道工事事務所豊橋出張所
官職 労務員(定員外職員)
担当職務 出勤簿等の勤務条件関係業務、来庁者との対応等の受付業務、事務所との連絡などの一般事務(なお、前任者及び後任者は、いずれも行(一)職員の建設事務官である伊藤満であった。)
<3> 昭和四六年一二月二六日ころから昭和四八年三月三一日まで
所属 愛知国道工事事務所庶務課庶務係
官職 労務員(定員外職員)
担当職務 共済関係事務(なお、前任者は森隆司、後任者は後藤久美で、いずれも行(一)職員の建設事務官であった。)
<4> 昭和四八年四月一日から同年四月三〇日まで
所属 愛知国道工事事務所庶務課庶務係
官職 労務員(定員外職員)
担当職務 給与関係事務(なお、後任者は行(一)職員の建設事務官である久野和光であった。)
<5> 昭和四八年五月一日から昭和五三年一〇月一五日まで
所属 愛知国道工事事務所庶務課庶務係
官職 労務員(定員外職員)
担当職務 電話交換業務
<6> 昭和五三年一〇月一六日から昭和五四年三月三一日まで
所属 愛知国道工事事務所庶務課庶務係(経理係併任)
官職 労務員(定員外職員)
担当職務 物品管理事務(なお、前任者は越田祥二、後任者は河野鏡子で、いずれも経理課経理係に配属されていた行(一)職員の建設事務官であった。)
<7> 昭和五四年四月一日から昭和六二年三月三一日まで
所属 愛知国道工事事務所庶務課職員係
官職 労務員(定員外職員)
担当職務 共済関係事務等(前任者は庶務課職員係主任佐野正明、後任者は総務課庶務係主任山田健治で、いずれも行(一)職員の建設事務官であった。)
<8> 昭和六二年四月一日から昭和六二年四月三〇日まで
所属 建設省豊橋工事事務所(以下「豊橋工事事務所」という。)総務課(調査課、管理第一課及び管理第二課併任)
官職 労務員(定員外職員)
担当職務 勤務時間管理に係る事務等(前任者は管理第一課管理係主任浜島千艸、後任者は同主任藤城薫で、いずれも行(一)職員の建設事務官であった。)
<9> 昭和六二年五月一日から平成四年一二月一五日まで
所属 豊橋工事事務所総務課(併任解除)
官職 労務員(定員外職員)
担当職務 共済関係事務、福利厚生関係事務等(前任者は庶務課職員係主任成田みさをで、行(一)職員の建設事務官であった。)
<10> 平成四年一二月一六日から平成六年三月三一日まで
所属 豊橋工事事務所豊川出張所
官職 建設事務官(定員内職員)
担当職務 共済関係事務等
(2) 原告の担当職務は、右<5>の時期の電話交換業務以外は、全て行(一)表適用職務であった。
これを裏付ける主な理由は、次のとおりである。
<1>ア 原告の担当した職務の内容自体からして、行(一)表適用職務であったことは明らかである。
すなわち、被告においても、「外形的には類似した業務」という表現ではあるが、原告の担当した職務が外形上は行(一)表適用職務と同一であったことを認めているものである。そして、原告の担当してきた職務の内容は、「その遂行に調整、指導、折衝、判断という相当高度な能力を要する業務」であって、定型的で簡易な事務補助業務などではなかった。
イ 被告は、原告が外形上は行(一)職員と同様の職務を行っていたことを認めながら、業務を行う際の「判断」、職務上の「権限」や「責任」の面において、行(一)職員の場合とは質的な相違があるとして、外形上類似はしていても、行(一)職員が行っているような「その遂行に調整、指導、折衝、判断という相当高度な能力を要する業務」はしていなかった旨主張する。
しかし、担当する職務内容が同一であれば、「調整、指導、折衝、判断」等についても行(一)職員の場合と同じように行わなければ、およそ職務の遂行などできるわけがなく、被告の主張は常識外のものであって、何ら実体のない議論であることは明白である。
原告は、自らの担当職務を、行(一)職員が担当する場合と全く同様に、自らの「権限」と「責任」と「判断」をもって遂行してきたものであり、他の行(一)職員がこれを担い、原告はその事務補助のみをしてきたということはあり得ないことである。
例えば、原告が起案した文書については、原告が起案担当者として押捺した上で、上司の決裁に付されていたものであり、右の取扱いは他の行(一)職員の場合と全く同様であった。中部地建文書管理規程によれば、一般に起案担当者は独立した業務担当者と位置づけられて業務を遂行することになっており、起案担当者の存在しない文書はあり得ないところ、原告が起案した文書に他の行(一)職員が起案担当者として責任を担ったということは全くないのであり、原告が「権限」、「責任」、「判断」を担っていたからこそ、起案担当者として押捺して表示されていたのである。
このように、一つの業務が遂行される場合、一般職員は、上司からの業務命令に基づいて、文書の受理、整理あるいは必要書類を起案し、事柄に応じて、係長、課長の審査、決裁、関係各課との協議、副所長、所長の審査、決裁を受け、必要に応じて中部地方建設局への上申もされたりするが、行政組織においては、最終決裁権者以外の職員は、当該業務をそれぞれの役職に応じて分担して職務を遂行しているのであり、上司でなければ権限も責任もないということは、こうした職務遂行の実体を無視するものであり、原告が係員として他の行(一)職員と同一の職務を遂行していたにもかかわらず、行(二)職員であったというだけで、行(一)職員の遂行していた職務とは質的に異なるものであったなどというのは、全く理解し難いことである。
<2> 原告の担当職務の前任者及び後任者は、全て行(一)職員であって、原告はこれら前任者及び後任者と全く同様の仕事をしてきたものであり、原告が行(二)職員ということで負担を軽減されたり、他の行(一)職員のサポートを特別に受けたということも全くなかった。
<3> 中部地建管内の他の工事事務所で原告と同じ職務を担当していた者も全て行(一)職員であり、原告以外に行(二)職員が担当していたところは全くなかった。工事事務所の各係の職務内容は、中部地方建設局組織細則(昭和五五年四月七日中建訓八号、甲五)などで定まっているものであり、同じ係の同じ職務に従事しながら、原告のみが質的に異なる業務をしていたということはあり得ないことである。
<4> 原告は平成四年一二月一六日に行(一)職員に任用されたところ、その前後で担当する職務内容に質的にも量的にも全く変化はなかったことからしても、原告において従前から行(一)表適用職務を行(一)職員と同等に遂行していたことが明らかである。
<5> 平成五年二月二三日、当時の福田建設大臣官房人事課長は、衆議院内閣委員会において、原告の従事していた業務について、「行(一)の仕事をさせておったということでございます。」と答弁しているもので、これは被告において原告が行(一)表適用職務を担当していたことを自認したものにほかならない。
(二) 被告の主張
(1) 原告の担当職務の推移に関する主張には、次の点で誤りがある。
<1>について
非常勤職員(アルバイト)の時期があったことは間違いないものの、詳細は不明である。
<2>について
期間は昭和四六年一〇月一六日から昭和四六年一二月三一日までであり、担当職務は、来客者へのお茶出し等の課内雑務及び庶務関係の事務補助を中心に行っていたもので、その中で出勤簿の整理も行っていたものである。
<3><4><5>について
期間は昭和四七年一月一日から昭和五三年一〇月一五日までであり、担当職務は、原告が電話交換取扱者の資格を有していなかったことから、当該資格を保有している電話交換手のもとで電話交換業務の補助をしていたものである。昭和四七年一月一日から昭和四八年四月三〇日まで共済関係事務を行っていたと主張するが、そのような事実はない。
<6>について
所属は、庶務課(経理課併任)であったところ、担当職務は、電話交換業務の補助のほか、月一回の定期健康診断の手伝い、その他の雑務を行っていたものである。原告は、物品管理事務を行っていたと主張するが、倉庫からの消耗品の出し入れ等の事務補助を行っていたにすぎない。
<7>について
担当職務は、昼食代金の費用徴収等昼食関係の福利厚生関係業務、電話交換手の休暇取得時における電話交換業務の補助であり、この他に、共済関係及び厚生関係の業務のうち、書類の取次ぎ、簡単な書類の作成、簡単な確認事務、単純な計算事務等の一部の事務補助を行っていたものである。
<8>について
担当職務は、総務課においては従事すべき事務補助の業務がなかったことから、調査課、管理第一課及び管理第二課を併任し、出勤簿の整理のほか、書類整理等の事務補助を行っていたものである。
<9>について
担当職務は、福利厚生関係の業務として、昼食関係業務を行っており、この他に、共済関係、財形貯金関係、団体保険関係、健康管理関係及び課内費用徴収関係の業務のうち、書類の取次ぎ、簡単な書類の作成、簡単な確認事務、単純な計算事務等の一部の事務補助を行っていたものである。
<10>について
所属は、豊橋工事事務所豊川出張所(総務課併任)であり、このときから、行(一)職員としての権限と責任を伴った業務を遂行するようになったものである。
(2) 原告が昭和四六年一〇月一六日から平成四年一二月一六日までの間に担当していた職務は、雑務、電話交換補助、事務補助であり、次に述べるとおり、行(二)表適用職務であった。
<1> 原告が担当していた職務は、定型的で簡易な事務補助であり、仮に、外形的には行(一)職員と類似の業務を行っていたとしても、それはあくまで補助的な立場で行っていたものにすぎず、行(一)職員とはその権限と責任の度合いが異なるものであった。
けだし、給与法六条三項が、職員の職務を「その複雑、困難及び責任の度に基づきこれを俸給表の定める職務の級に分類」し、級別標準職務表における基準としていることからしても、「責任」は法的概念であり、職務の分類基準となっているものであるところ、準職員たる行(二)職員に行(一)職員の権限と責任を担わせることはあり得ないからである。
また、中部地方建設局長は、準職員たる行(二)職員としての職務を担わせる目的で原告を任用したのであり、仮に、原告が行(一)職員としての意識で職務を遂行していたとしても、原告は行(二)職員たる準職員としての責任を負うにすぎないものである。
<2> 原告が「前任者」、「後任者」と主張する者と原告とは、外形上類似の業務を行っているとしても、担当する職務内容は質的に異なっているのであり、職務の権限と責任の面で全く異なっていたのであるから、およそ比較の対象にならないものである。
<3> 原告は、中部地建管内の他の工事事務所の同一名称の係の係員と原告とを比較しているが、同じ係であるからといって具体的な職務の複雑、困難の度合い、責任の度合いは同一ではない。このことは、非常勤職員の担当職務を考えれば明らかである。
<4> 原告を行(一)職員に任用してからは、原告に対して行(一)職員としての責任と権限を担わせることになったのであり、担当職務に変化がなかったというのは、原告の主観的認識にすぎない。
仮に、業務の外形的側面が従前と類似していたとしても、行(一)職員と準職員たる行(二)職員とでは、少なくとも責任の度合いにおいて組織上明らかに違いがある。
<5> 原告の主張する建設大臣官房人事課長の発言は、「行(一)的」という言葉を使っていることからしても明らかなように、原告が行(一)職員が行う業務を補助していたという意味で、行(一)的業務を行っていたことを説明しているものである。
なお、同課長の発言全体を見ると、一か所「行(一)の仕事をさせておった」とあるのみで、前後の発言内容からすれば、右発言も原告の主張するような趣旨で発言したものでないことは明らかであり、あくまで行(一)職員の行う業務の事務補助を行っていたとの趣旨で発言しているものである。
2 国家賠償法一条一項による損害賠償請求の成否
(一) 公権力の行使に当たる行為の違法性(請求原因)
(1) 原告の主張
<1> 一次的主張
ア 準職員たる行(二)職員にその官職のまま恒常的に行(一)表適用職務を行わせることは、当該職員の官職(俸給表)と担当する職務との不一致をきたすものであり、給与の根本基準に違反するものであって違法であり、任命権者である中部地方建設局長としては、こうした違法状態を是正し、担当職務に応じた正当な俸給を支給する義務があるのであって、恒常的に行(一)表適用職務に従事させる職員については、これを行(一)職員に任用する義務を有していたものというべきであり、このような任用権の行使は法的義務であって裁量の余地のないものである。
ところで、原告は、昭和四六年七月ころ、非常勤職員として再採用されるための面接を受けた際、面接を行った愛知国道工事事務所の守田吾朗庶務課長(以下「守田庶務課長」という。)から、担当職務は行(一)職員の行う一般事務であり、当面は労務員として任用するが、機会を見つけて行(一)職員にするとの説明を受けていたものの、いつまでたっても行(一)職員に任用されなかったことから、昭和五四年一二月ころ、人事院に対し、国公法八六条に基づき、俸給表について行(一)表の適用を求める行政措置要求をなしたところ、人事院は、昭和五五年二月七日、原告の職場に赴いて実態調査を行うなど調査を進めた。こうした事態を受け、中部地方建設局長は、昭和五五年八月五日から同月七日にかけて実施された行(二)職員から行(一)職員への職転のための職転研修及び試験を原告に受けさせたところ、原告は、同年九月末ころ、愛知国道工事事務所長から、「試験結果も良好であり、一〇月には行(一)に当然なれるところだが、今回の発令は待ってほしい。」旨言われたものである。
なお、建設省における職転研修及び試験は、当局の都合により行(一)表適用職務に従事させておきながら、行(二)職員のままで処遇してきた職員について、俸給表の適用の誤りを是正し、行(一)職員への職転(配置換)を行うために実施されてきたものであり、職転研修及び試験を受ける者は、行(一)表適用職務に従事していた行(二)職員のみであること、しかも職転希望者全員を受けさせたのではなく、中部地方建設局長が予め選定した者だけを受けさせたのであり、これを受けた者で職転が当該年度で実現しなかった者については、病気や高齢等の理由で再度これを受けることを希望しなかった者を除き、職転ができるまでこれを繰り返し受けさせて職転を実現していることからすれば、中部地方建設局長においても、原告を職転させる意思があったからこそ、昭和五五年の職転研修及び試験を原告に受けさせたものであったことは明らかである。
したがって、被告は、遅くとも昭和五五年一〇月一日までに原告を行(一)職員に任用しなければならなかったし、かつ、任用する条件も整っていたものである。
イ 準職員たる行(二)職員を行(一)職員に任用する方法としては、次の三通りの方法があった。
a まず、準職員を欠員が生じている定員内職員に任命換によって異動させる方法があり、これには、定員内の行(二)職員に異動し、さらに職転によって行(一)職員に配置換する方法も含まれる。
被告は、昭和三七年一月一九日閣議決定「昭和三十七年度の定員外職員の定員繰入れに伴う措置について」(以下「昭和三七年閣議決定」という。)により、定員外職員を定員内職員に繰入れすることは厳格に制限されるようになった旨主張するけれども、右閣議決定の趣旨は、定員外職員をそのまま定員内職員化することにより定員を増大させることを制限しているのであって、定員内職員に欠員が生じている場合に、準職員を定員内職員として任用し欠員を補充することまで制限するものではなく、被告は右閣議決定の解釈を誤っているものである。
b 次に、準職員のまま行(一)職員に配置換する方法がある。
人事院規則八-一四(非常勤職員等の任用に関する特例)は、非常勤職員を競争試験により採用しなければならない官職へ選考によって異動させる場合は、異動させられる職員は、当該官職への採用候補者名簿又は当該官職と職務の種類が類似する他の官職への採用候補者名簿に記載された者でなければならない(二条二項)として、その異動を制限しているが、非常勤職員としての異動は、競争試験又は選考のいずれにもよらないで行うことができる(二条一項ただし書)としており、準職員についても、昭和三六年六月一日以降引き続き在職する二箇月以内の任期を限られた常勤職員の他の官職への異動は、なお従前の例による(四条)としているところ、「人事院規則八-一四の運用について(通知)」によれば、右の従前の例によるとの意味は、二箇月以内の任期を限られた常勤職員としての異動及び非常勤官職への異動は、競争試験又は選考のいずれにもよらないで行うことができ、選考によって異動させようとする官職が競争試験により採用しなければならない官職である場合でも、二箇月以内の任期を限られた常勤職員として異動する場合には、成績主義による制限を受けないものとされているのであるから、いずれにしても準職員のまま行(一)職員に異動させることは成績主義による制限の対象から除外されているのであり、このような異動は法的にも十分可能なものである。なお、右のような取扱いは、昭和三六年六月一日以降に新規採用された準職員についても同様に解されるものである。
平成五年二月二三日、衆議院内閣委員会において、原告に対する処遇が問題となった際、丹羽政府委員(人事院事務総局給与局長)は、「常勤労務者には、一般職の給与に関する法律が定めます俸給表が適用されますし、諸手当につきましても一般の常勤職員と同様の取扱いを受けることとなっております。」とした上、原告が従事してきた共済関係事務、厚生関係事務、一般事務などの職務については、「一般的に行政職俸給表(一)が適用になるものと思います。」と、また、俸給表の適用については、「主たる業務が行(一)の業務であれば、行(一)の俸給表の適用が正しいものと思います。」と答弁しているのであり、準職員のまま行(一)職員に任用することができることは、政府委員においても認めているところである。
c さらに、準職員の官職をいったん退職させると同時に、定員内職員として新規採用する方法がある。
これは、原告が平成四年一二月一六日に建設事務官として行(一)職員に任用された際にとられた方法であり、このような取扱いができることは明らかである。
ウ ところで、被告は、原告に対する行(二)表の適用について、昭和四六年一〇月一六日に準職員に任用した際には、昭和六〇年七月改正前の人事院規則九-二の二条二号の「労務作業員、消毒婦、洗たく婦、炊婦等の労務に従事する者」として任用したが、その後、事務補助の業務が中心となり、同条三号の「事務見習、技術見習等単純な補助業務に従事する者」となった旨主張している(乙四〇参照)。
しかし、原告は、同条二号の各業務に従事したことは一度もない上、同条三号は、「単純な補助業務」に重点があるのではなく、「見習」に重点があるのであり、同条三号の職員は「見習職員」と称されていたものであるところ、原告が見習職員に含まれないことは明らかであるから、被告の右主張は詭弁である。
また、昭和六〇年七月改正後の人事院規則九-二の二条では、右の三号が削除されているところ、削除の理由は、「事務見習、技術見習等のいわゆる見習職員については、行政職(二)が適用されてきたが、近年における高学歴化の現象、行政組織の構成の変化等により、現に行政部内に見習職員は存在していないし、そのような官職も存在していないとともに、また将来的にみても見習職員が置かれる可能性は乏しいと判断された」からであると説明されているから、仮に、昭和六〇年七月改正前については被告の主張が成り立つ余地があるとしても、それ以降においては、原告を補助業務を行う職員として処遇する根拠がなくなったことは明らかである。被告は、昭和六〇年七月改正後は、原告に対して右改正後の人事院規則九-二の二条八号を適用していたと主張するが、同条八号は、「その他前各号に準ずる技術的職務に従事する者」であり、技術的職務に従事していない原告には適用の余地がないものである。被告は、同条八号を、「単純な補助作業」をする者を包括した規定として理解しようとするが、前各号を見ても、いずれも技術的職務であり、単純な補助作業を内容とするものはないから、全くの誤りである。
右のとおり、原告は、行(二)表適用職務ではなく、行(一)表適用職務に従事していたものである。
<2> 二次的主張
ア 仮に、任命権者に人事権の行使についての裁量権があり、原告を行(一)職員に任用するか否かは裁量行為の範疇に入るとしても、一方で職員に恒常的に行(一)表適用職務を担当することを命じながら、他方で当該職員の官職を行(二)職員としたまま放置することは国公法等の法令上も認められないことであり、当該職員が恒常的に担当する職務と官職(俸給表)が一致するように人事上の裁量権を適切に行使すべき義務があったものであって、昭和五五年一〇月一日以降も、原告を準職員たる行(二)職員の官職に放置し、行(一)職員に任用しなかったことは、人事上の裁量権の著しい逸脱ないし濫用に当たるもので違法であったというべきである。
イ 原告を行(一)職員に任用する方法としては、前記の三通りの方法があったもので、いずれの方法によっても原告を行(一)職員に任用することは可能であった。
被告は、行財政改革の実施により定員事情が厳しく、定員内職員への任用ができなかった旨主張するが、これは明らかに事実に反している。
すなわち、昭和五五年一〇月当時、中部地方建設局では、行(一)職員の定員を行(二)職員が食っている状態であり、行(一)職員は定員に不足していたのであり、全体としてみても、毎年多数の退職者がおり、毎年多数の新規採用者があったことからしても、欠員は常時あったはずであり、原告を行(一)職員に任用することが定員上無理であったとは考えられない。現に、昭和五二年以降平成三年一〇月一日まで一三五名の職転発令がされており、平成元年以降は年度途中の新規採用者も存在していたのであり、原告のみが定員事情による制限を受けたというのはいかにも不自然であり、平成四年一二月一六日には行(一)職員に任用できていることからみても、定員事情が理由になっていないことは明らかである。なお、欠員の補充については、現実に行(一)表適用職務を行っている原告を最優先すべきものである。
ウ 任命権者の人事上の裁量権の著しい逸脱ないし濫用を基礎付けるものとしては、次のような事情が存在する。
a 愛知国道工事事務所の守田庶務課長は、前記のとおり、昭和四六年七月ころの面接に際し、原告に対し、担当職務は行(一)職員の行う一般事務であり、当面は労務員として任用するが、機会を見つけて行(一)職員にするとの説明をしたものであり、当局としては、原告を当初から行(一)表適用職務に従事させる意思で任用したもので、いずれ行(一)職員に任用する意思であった。
b 当局は、長期間にわたって原告を行(一)表適用職務に恒常的に従事させたものであり、原告においては、機会があれば行(一)職員に任用されることを信じて、行(一)職員と全く遜色なく行(一)表適用職務を遂行してきたものであった。
c 当局は、前記のとおり、原告を行(一)職員に任用する意思で、昭和五五年八月五日から同月七日にかけて実施された行(二)職員から行(一)職員へ職転を行うための職転研修及び試験を原告に受けさせたものであるところ、原告の試験結果は良好であり、当局においても、当初は同年一〇月に原告の職転が承認されるとの見通しを述べていたものであり、同年九月ころには、愛知国道工事事務所長から、「試験結果は良好であった。来年の職転の前までには必ず発令するから、今回の発令は待ってほしい。」と言われ、その数日後には、総務部調査官から、「Aさんは別に考えている。Aさんの能力は分かっているので、試験はもう必要ない。」とまで言われているのである。
d 原告以外の他の職転受講者であえて職転を希望しなかった者以外は、最終的に全て職転が承認されたにもかかわらず、原告のみが職転させられなかったものであるが、その唯一の理由は、原告が定員外の準職員であることにあったところ、これは、当局の上層部が閣議決定を誤って理解していたこととともに、定員外職員である準職員に対する差別意思を有していたことに由来するものであった。
ちなみに、建設省における定員外職員の沿革は、次のとおりである。
i 終戦直後の国家公務員の雇用形態は、定員内職員である本官と定員外職員である雇員、傭人に分けられ、雇員、傭人は、身分保障、俸給等の待遇面、共済など福利厚生面で本官とは大きな差別的取扱いを受けていた。
ii 建設省は、昭和三〇年代後半まで、公共事業を直営方式によって実施していたため、常時多数の雇員、傭人を必要とし、その常勤化が進み、恒常的業務を担うようになり、こうした傾向は、技能職、労務職のみならず、事務職においても同様であり、職員団体からも、雇員、傭人の全員定員化が要求されるようになった。
iii 人事院は、昭和二五年九月、常勤労務者制度を設ける通知を発し、二か月以内の任期を定めて常勤的に雇用される職員を常勤労務者と称して、その待遇を定員内職員に準ずることとした。また、日々雇用の形態をとりながら常勤的に雇用される者は、常勤的非常勤職員と称された。右通知は、差別的取扱いの解消に向けて一歩前進ではあったが、他面では、なお残る差別的取扱いを固定する原因ともなった。
建設省では、当時、定員外職員を臨時職員と呼称し、これには二か月間の雇用期間で更新される職員と日々雇用の職員があり、前者は名義者(登録された者)、後者は人夫と呼ばれていたが、昭和二六年一一月には、人事院のいう常勤労務者制度を準職員制度として実施し、臨時職員を、常勤労務者である「準職員」と、日々雇用の常勤的非常勤職員である「補助員」に分けるようになった。
iv 建設省は、増大する公共事業の実施のために必要となる人員を確保するため、本来は定員を増やすべきところを、臨時職員の採用を拡大することで対応したため、臨時職員の一層の増加を招き、全建労の調査によれば、昭和三一年には、建設省内において、定員内職員九九七四名、準職員一万一五四七名、補助員二万〇二一三名となった。
職場は、技能職に限らず、事務職、技術職においても、同一職務に従事する者でありながら、定員内職員と定員外職員が混在する状況となり、昭和三二年には、俸給表が八種一二俸給表に分けられたが、当時は、職種により定員外職員にも行(一)表が適用されており、例えば、工事事務所の事務系準職員の場合、高卒以上の者には行(一)表が適用され、中卒者には行(二)表が適用されるという実態であった。
v 昭和二九年四月には、全建労の支援のもと、人事院に対し、補助員の取扱いに関する行政措置要求がなされたところ、人事院は、実態調査の上、昭和三〇年二月、「補助員の取扱いは基本的に検討すべきであるが、とりあえず準職員とし、それ以外は所要の処置をとることが適当」との判定をなしたことから、補助員の準職員化、準職員枠の増加が図られることとなった。
昭和三二年三月には、衆議院内閣委員会が、定員法改正案の決議に際し、「常勤労務者であって長期勤務に服しており、かつ、行政機関の恒常的構成員と認められるものは、これを定員法上の職員に繰入れるべきである。」との付帯決議をなし、同年一一月には、衆議院建設委員会が、「常勤職員及び常勤的非常勤職員の処遇改善については、(中略)、これらの職員の定員化を強力に実行すべきである。」との決議をなし、職員団体からも定員外職員の定員化要求が強くされるようなった。
こうした動きを受けて、建設省は、昭和三三年以降昭和三七年四月一日までに約二万五〇〇〇名の臨時職員を定員化するに至ったものの、定員化定数の制限を設け、不合理な選別がなされたため、恒常的構成員と認められる者でも定員化されなかった者が生じ、同一職種の臨時職員であっても、各地方建設局、各事業所によっては、定員化された者と定員化されなかった者を生じた。
vi 政府は、昭和三六年二月二八日閣議決定「定員外職員の常勤化の防止について」(以下「昭和三六年閣議決定」という。)により、常勤労務者の新規採用を禁止し、昭和三七年閣議決定により、定員外職員の定員繰入れ措置の終了を宣言したが、右昭和三七年閣議決定は、定員外職員の定員繰入れによる定員増をしないことを明らかにしたものであって、定員に欠員が生じた場合に、準職員を定員内職員に異動させることを制限したものではなかった。
また、右昭和三六年閣議決定によれば、準職員の新規採用は行わず、準職員は自然消滅するはずのものであったが、建設省は、準職員の予算枠を温存し、退職者の補充として準職員の新規採用を続けたため、準職員がなくならず、準職員に対する差別的取扱いも解消されなかった。
vii 高度経済成長のもと、建設省は、公共事業のさらなる拡大に対応するため、昭和三〇年代後半から昭和四〇年代の前半にかけて、事業の実施を従来の直営方式から民間会社への請負方式に切り替え、職場の合理化を推進した。
そして、昭和四三年度から実施された行財政改革による定員削減計画により建設省の定員も減少を続けたが、他方で、公共事業予算は急激な拡大を続け、各工事事務所や出張所などの出先機関においては、増える予算、減る定員のため繁忙をきわめ、さらに、公共事業に対する社会的要請の変化から、業務は質的にも複雑、高度なものになっていった。
建設省は、こうした専門的経験と知識を要する業務面での労働力不足を補うため、行(二)職員について、正式な職転を行わないまま、なしくずし的に、行(一)表適用職務に従事させるようになり、準職員の新規採用も継続された。
viii こうした事態を踏まえ、職員団体から、職員の業務実態に適合した俸給表の適用を求める要求が繰り返されるようになり、当局の姿勢に紆余曲折はあったものの、中部地方建設局内において、昭和五二年以降、平成三年一〇月一日までの間に一三五名(昭和五五年以降は一一八名)の職転が行われ、職員の業務実態に適合させるべく俸給表の適用が是正されてきた。
<3> 三次的主張
ア 行(二)職員に対して恒常的に行(一)表適用職務を担当させることは、給与の根本基準に違反する違法なものであり、これにより、原告は、官職本来の職務とは異なり、より複雑で責任の重い他の官職の職務に従事させられながら、従前の官職のまま放置され、条件の劣る待遇を強いられた。公務員にとって給与は最も重要な労働条件であり、給与の根本基準に関わる法規の適用は厳格でなければならず、被告主張のように「諸般の事情を総合考慮」して恣意的に決定されるべきものではないところ、当該職員に官職本来の職務とは異なり、より複雑で責任の重い他の官職の職務に従事させることは、給与の根本基準に関わる法規によって公務員に保障された勤務条件を侵害するものである。
イ また、原告は、担当する職務にふさわしい正当な俸給を受給する期待権を侵害された。原告の採用時における守田庶務課長の原告に対する説明、長期間にわたる恒常的な行(一)表適用職務への配置及び原告に対する職転研修と試験の実施等の事情を考慮すれば、原告の右期待権は法的に保護されるべきものである。
ウ 被告は、職員が本来の職務外の職務命令に応じた場合は、国公法一〇五条の義務免除の利益を放棄したものとして、職務命令の瑕疵はなくなる旨の主張をするが、被告が引用する見解は、行(一)職員が一時的に自己の担当外の業務に従事する場合において、併任発令がされていないときの応援命令についてのものであり、本件とはおよそ適用場面が異なるものである。本件では、行(二)職員の処遇を受けている原告に、行(一)表適用職務を恒常的に本務として命ずることの違法性が問題となっているのであり、適法な併任発令もおよそ考えられない場合であり、全く次元を異にする。被告の主張は、違法な職務命令であっても、職員がこれに応じて職務を遂行した場合には、違法の主張ができなくなるというものであって、法治行政の原理を無視し、法的正義を著しく侵害するものであり、およそ職務命令についての解釈を誤っているというべきであり、主張自体失当である。
また、原告は、当局に対し、行(一)表適用職務に従事することとともに、俸給表について行(一)表の適用を併せ求めていたものであり、行(二)職員のままで行(一)表適用職務に従事することに同意してきたものではない。
さらに、当局は、原告に対し、行(一)職員への任用を約束する言動をなし、「もう少し待ってくれ。」と述べてきたのであり、当局においても、行(二)職員たる原告に行(一)表適用職務を行わせるという職務命令が違法であることを十分に認識していたからこそ、その是正のために一定の努力もしていたのであり、被告の主張は、本件についての長年に及ぶ過去の経過を無視するものである。
(2) 被告の主張
<1> 一次的主張に対して
ア 原告は、中部地方建設局長には原告を行(一)職員に任用すべき法的義務があったなどと主張するが、任用行為を法的に義務付けられることはあり得ないことである。任命権者の人事権は、もとより裁量行為であって、裁量権行使の逸脱ないし濫用の有無が問題になるだけである。
イ 原告を行(一)職員に任用する方法についての原告の主張には、次のような誤りがある。
a 一般論として、準職員を定員内職員に異動させた上、建設事務官として行(一)職員に配置換する方法があることは認めるが、競争試験でも選考でもなく、いわゆる自由任用で採用された準職員を競争試験又は選考で採用される定員内職員に任用することは、極めて特別な場合の措置である。
この方法は、通常の欠員補充の方法により準職員から定員内職員に配置換等により任用する方法であるが、昭和三六年閣議決定及び昭和三七年閣議決定により、準職員の定員化は原則として禁止されているのであり、仮に、これを行うとしても、極めて例外的な場合の措置であって、こうした任用行為をすることが法的に義務付けられることはあり得ないというべきである。
また、人事院規則八-一四の四条によれば、昭和三六年六月一日以降引き続き在職する準職員の他の官職への異動については、なお従前の例によるとされ、従前の例によるとの意味は、定員内職員への異動は選考を経て行わなければならず、定員内職員のうちでも、競争試験により採用しなければならない官職に異動する場合は、当該職員が採用候補者名簿に記載された者でなければならないとするものであり、いずれにしても競争試験又は選考によらなければ定員内職員への異動はなし得ないものである。
そして、建設省では、準職員の定員内職員への異動は原則として行わないことにしているものである。
b 次に、定員外職員である準職員を準職員のままで行(一)職員に任用することは、準職員の歴史的経緯も含めた国家公務員の任用制度全体における位置付けからみても、本来、あり得ないことである。
準職員(常勤労務者)とは、人事院規則八-一四の四条に規定する「二箇月以内の任期を限られた常勤職員」のことであるが、二箇月以内の任期を限られていることから、その職は、行政機関の職員の定員に関する法律(以下「定員法」という。)一条の「恒常的に置く必要のある職」には該当せず、定員の枠外とされているところ、準職員としての任用は、まさに恒常的に置く必要がない職に任用することであって、準職員の官職の職務の種類は、「臨時の補助的な業務又は肉体的若しくは機械的な労務」を前提としているのであり、その職務の性質は本来的に行(二)表適用職務にとどまるのであり、任命権者が準職員を任用する場合、行(二)職員として採用し、その担当職務を行(二)表適用職務の範囲内で命じているものであり、その結果として、行(二)表の俸給表を適用しているのである。
これに対し、行(一)表適用職務は、職務内容からして継続的かつ安定的に行われるべきもので、恒常的に置く必要がある職であり、行(一)職員の採用には、競争試験による採用の原則が適用されていることからも明らかなように、高度な判断能力を有し、職務に対して個別の権限や責任を有する職員によってはじめて遂行され得るものであり、短期間の任期で採用されている準職員が行うことはあり得ないことである。
人事院規則八-一四の二条一項ただし書で、非常勤職員としての異動は、競争試験又は選考のいずれにもよらないで行うことができると規定し、四条で、昭和三六年六月一日以降引き続き在職する二箇月以内の任期を限られた常勤職員の他の官職への異動は、なお従前の例によるとされ、「人事院規則八-一四の運用について(通知)」によって、右の従前の例によるとの意味について、二箇月以内の任期を限られた常勤職員としての異動及び非常勤官職への異動は、競争試験又は選考のいずれにもよらないで行うことができるとされているのは、準職員相互間の異動は原則として自由であることを確認的に記述したにすぎないものであって、準職員のままで行(一)職員に任用できることを根拠付けたものではない。
また、右の従前の例によるとされているのは、昭和三六年六月一日以降引き続き在職する準職員に限られるものであり、その後の新規採用者には適用されず、類推適用の余地もないというべきである。
さらに、昭和四三年一二月一六日には、人事院規則八-一二が改正されて一五条の二が追加され、「恒常的に置く必要がある官職に充てるべき常勤の職員を任期を定めて任用してはならない。」と規定されたことから、以後、恒常的に置く必要がある官職である行(一)職員として準職員を任用することはできなくなったものである。
c 準職員をいったん退職させて、定員内職員として新規採用する方法があることは、一般論として認める。もっとも、この方法は、いったん退職した上で、競争試験又は選考を経て採用する方法であるところ、競争試験による採用が原則とされている行(一)職員については、選考による採用は例外的な措置であり、この方法によって原告を行(一)職員として新規採用できるとは限らないものである。
なお、原告を平成四年一二月一六日に建設事務官行政職(一)四級に任用したのは、この方法によったものであるが、これは、原告が行(一)職員となった場合の定年の時期が間近に迫ってきており、定員上の観点からも採用することの弊害が少なくなったこと、原告が共済関係事務等に長期間補助的に従事し、習熟、能力の向上により、行(一)職員が行う判断業務も可能であると判断されたこと等、総合的な判断のもとに特例的措置として選考により採用したものである。
ところで、国家公務員の任用制度における成績主義の原則の概要は、次のとおりである。
i 国公法三三条一項は、任免の根本基準として、「すべて職員の任用は、この法律及び人事院規則の定めるところにより、その者の受験成績、勤務成績又はその他の能力の実証に基づいてこれを行う。」ことを定めており、官職の要求する職務遂行能力の実証を得られない者の採用、昇任等は行うことができず、その実証を得て資格を与えられた者は何らの差別もなく任用されるという、官職を中心とする成績主義による任用の原則をとっている。
この成績主義は、官職を職務の種類及び複雑と責任の度に応じ分類整理する計画である職階制の実施が前提となっており、昭和二五年には国家公務員の職階制に関する法律が制定されたが、現実にはいまだ職階制は実施されておらず、人事院規則八-一二(職員の任免)において、人事院規則の全面適用の日(指定日)を別に指定することとし、指定日までの暫定措置として、原則的理念に反しない範囲で多くの経過規定を設けることにより、現在に至っている。また、国家公務員の給与については、国公法六三条で給与準則に基づいてなされるものと規定されているが、職階制が未実施のため給与準則も制定されておらず、給与準則に代わるものとして給与法が効力をもつものとされている(給与法一条三項)。
ii 国家公務員の採用は、採用すべき官職の職務遂行に必要な能力を判定した上で行わなければならないとの原則のもと、判定方法として、客観性及び確実性に富む競争試験によることを原則としているが(国公法三六条一項)、行政職俸給表が適用される職員では、行(一)職員についてのみこの原則が維持されている(人事院規則八-一八の別表一)。
そして、行(一)職員については、採用候補者名簿(当該官職に採用することができる者として、採用試験において合格点以上を得た者の氏名及び得点をその得点順に記載したもの)が作成され、この名簿から採用されることになっている。
iii 競争試験による採用の例外として、国公法三六条一項ただし書は、「人事院規則の定める官職について、人事院の承認があった場合は、競争試験以外の実証に基づく試験(以下「選考」という。)の方法によることを妨げない。」と規定し、これを受けて人事院規則八-一二の八三条一項は、採用試験の結果作成される採用候補者名簿がない官職については、選考により職員を採用することができるものとしている。
そして、行(二)職員については採用候補者名簿は作成されず、選考による採用がなされており、国公法制定以来、試験採用の原則がとられたことはない。
また、採用試験の対象となる官職でも、採用試験の結果に基づき任用される級以外の官職(例えば、行(一)職員でいえば、非現業職員の場合、行政職(一)四級以上のもので係長以上の職務を対象とするものがこれに当たる。)については、採用候補者名簿がない官職となるため、例外的に選考採用が認められている。これらの官職では、その職務の遂行能力の検証を競争試験によってすることは技術的に困難であり、かつ、各省庁の人事管理においては、係長以上の官職に公務員外から採用することは例外的であり、通常は下級の係員が順次昇任していくのが実態であることから、競争試験を行っていないものである。したがって、行政職(一)四級以上の職員を新規に選考採用することは、極めて例外的なことである。
選考については、国公法三六条二項で、「選考は、人事院の定める基準により、人事院又はその定める選考機関がこれを行う。」とされ、人事院規則八-一二の四五条に選考の基準が規定されているが、同規則九〇条一項で、「四五条の規定にかかわらず、本省庁の課長等の官職についての選考は、人事院が選考機関としてその定める基準により行い、その他の官職についての選考は、任命権者が選考機関としてその定める基準により行うもの」とされている。また、選考の方法については、「選考される者の当該官職の職務遂行の能力の有無を、選考の基準に適合しているかどうかに基づいて判定するものとし、必要に応じ、経歴評定、実地試験、筆記試験その他の方法を用いることができる。」とされている(人事院規則八-一二の四四条)。
なお、選考は、口述試験により慎重な審査が行われるのが通常であるが、準職員の採用(自由任用)は簡単な面談が行われるのみである。
iv 国家公務員の任命権は、国公法五五条一項により、各省庁に属する官職については当該省庁の大臣等に属し、同条二項により、任命権者は、その任命権を部内の上級の職員に委任することができるものとされており、建設省においては、例えば、中部地方建設局に属する官職は、一部の管理職を除く行政職(一)の官職及び全ての行政職(二)の官職等についての任命権は中部地方建設局長に委任されている(建設省の職員の任命権の委任に関する訓令(昭和三二年建設省訓一一号))。
v 行(二)職員を行(一)職員にするには、任命権者の任用行為が必要であるが、行(一)職員の採用が原則として競争試験により行われていることからすれば、行(二)職員を行(一)職員に異動させるためには、競争試験に準じて、行(一)職員として必要な職務遂行の能力を有しているかを検証、判断することが必要であり、こうした異動が、国公法三六条一項及び人事院規則八-一二の七条との関係において脱法的に行われた場合は違法となると解されている。このことは、国公法五五条三項が、「この法律、人事院規則及び人事院指令に規定する要件を備えない者は、これを任命し、雇用し、昇任させ若しくは転任させてはならず、又はいかなる官職にも配置してはならない。」と規定していることからも明らかである。
そこで、建設省においても、定員内の行(二)職員から行(一)職員に職転をするときは、職転のための研修及び試験を受けさせ、能力等を検証、判断した上で、職転させる者を選考しており、その選考に当たっては、上司の総括的指導のもとに、ある程度独立して日常の業務を遂行し得る行(一)職員として必要な体系的なものの考え方、判断力、応用力、文書の理解力及び作成能力、他人との応対能力等を試験することとしているものである。
vi 国家公務員の定員管理は、昭和二四年の行政機関職員定員法の制定以来、法律による規制が行われてきており、昭和三六年には国家行政組織法により、各省庁設置法において定員の規定が置かれることとなり、これを受けて、建設省の定員は建設省設置法で規定されることになった。そして、昭和四四年には定員法で国家公務員の総定員が、また、行政機関職員定員令で各省庁の定員がそれぞれ規定されて現在に至っているところ、昭和四三年度からは、行財政改革の観点から、その最も強力な手段として定員削減計画が実施され、建設省の定員も減少してきており、厳しい定員状況の中で業務が遂行されてきているものである。
vii 準職員は、二箇月以内の任期を限られた常勤職員(常勤労務者)の建設省での呼称であるが、定員法一条の「恒常的に置く必要がある職に充てるべき常勤の職員」には該当せず、定員の枠外にあるもので、昭和三三年度から昭和三六年度にかけて定員化が実施され、一〇年余りの間続いてきた常勤労務者の制度は原則廃止され、昭和三七年閣議決定により定員化も終了し、以後、定員外職員の定員繰入れは禁止されることになったものである。
準職員は、国公法上一般職の国家公務員であり、給与法上は定員内職員と同一の扱いを受け、雇用期間が二か月以内と限られている点を除けば、定員内職員とほぼ同様の処遇が与えられているが、常勤労務者の由来からすれば、本来、従事すべき業務がなくなれば雇用を終了される職員である。
ウ 原告は、原告に行(二)表を適用する根拠はなかった旨主張するが、右は行(二)表の理解を誤った主張である。
俸給表の種類については、給与法六条に規定があり、具体的俸給表は別表一から九までの俸給表において規定されているところ、行(二)表は、「機器の運転操作、庁舎の監視その他の庁務及びこれらに準ずる業務に従事する職員で人事院規則で定めるものに適用する。」とされ、行(一)表は、「他の俸給表の適用を受けないすべての職員に適用する。」とされている。
昭和六〇年七月改正前の人事院規則九-二の二条に行(二)表を適用される職員が規定されているところ、その三号に、「事務見習、技術見習等単純な補助業務に従事する者」が規定されており、原告は、この規定の単純な補助業務に従事する者として採用された(なお、原告は、昭和四六年一〇月一六日、「労務員行政職(二)五等級に採用する。」として任用されているが、ここでいう労務員とは、準職員(常勤労務者)のことを称したものである。)。
その後、昭和六〇年七月の改正により、人事院規則九-二の二条三号の規定が削除されたが、これは単純な補助業務の存在を否定したり、その職務評価を変更したりしたものではなく、人事院が、三号の規定に該当する者がいなくなったと理解したことからこれを削除したにすぎないのであり、右改正後は、二条八号の「前各号に準ずる技能的業務に従事する者」の中に単純な補助業務も含まれているものと解するのが相当である。けだし、恒常的な職務であっても、特別の知識、技能又は経験を必要としない補助的、代替的あるいは単純な機械的業務を内容とするものである場合は、準職員にこれを担わせることが行政の弾力的な運営上適当であるからである。
したがって、右改正後も原告に対して行(二)表を適用したことについて法的根拠があったことは明らかである。
仮に、同条三号の削除により事務補助等の補助業務が行(二)表適用職務でなくなったとしても、そのことから直ちに原告に対して行(一)表を適用すべきであるということにはならず、むしろ準職員としての雇用を終了させて、俸給表の適用対象外である日々雇用の非常勤職員として採用すべきであったというべきである。
<2> 二次的主張に対して
ア 原告を行(一)職員に任用しなければならないとする法的根拠はなく、原告主張のような任用行為をしなかったという不作為の違法性の前提となるべき作為義務があったとは考えられないものである。
イ 任命権者は、国公法、人事院規則等の国家公務員の任用に関する法令の範囲内において人事裁量権を有しているものであるところ、中部地方建設局長が原告を平成四年一二月一六日まで行(一)職員に任用しなかったのは、当時の厳しい定員事情、昭和三七年閣議決定による準職員の定員化措置の終了、原告を再採用した際の経緯、人事管理における基本的な考え方(若年者の登用による組織の活性化等)等を考慮したものであって、その人事裁量権の行使に逸脱ないし濫用はない。
ウ 中部地方建設局長の人事裁量権の行使に逸脱ないし濫用がなかったことについては、右閣議決定の存在に加え、次のような事情があった。
a 原告は定員外の準職員であったから、原告を定員内の行(一)職員又は行(二)職員に任用するに当たっては、定員内の行(二)職員の場合とは異なり、定員事情について特に留意する必要があった。
国家公務員の定員については、行財政改革の一環として、昭和五七年度から第六次定員削減計画が実施され、特に平成四年度に始まる第八次定員削減計画の策定時期までの約一〇年間は、定員事情が極めて厳しい状況にあった。
そして、中部地建においても、昭和五七年度から平成三年度までの第六次及び第七次定員削減計画の期間中に合計四三六名もの職員を削減したものであり、右期間中に原告を定員内職員に任用することは極めて困難であった。
また、行(二)職員の採用については、昭和五八年五月二四日閣議決定「臨時行政調査会の最終答申後における行政改革の具体化方策について」(以下「昭和五八年閣議決定」という。)により、「技能・労務職員等が携わっている事務・事業については、民間委託等の合理化措置を積極的に講ずることとし、これらの職員の採用は、公務遂行上真に必要な場合を除き、昭和五九年度以降行わないものとする。」とされたことから、原告を定員内の行(二)職員として採用することも困難であった。
なお、定員管理は、年度末に向け、定員削減を念頭において、定められた定員を超過しないように管理するものであるから、退職等により年度途中で一時的に欠員が生じたからといって、直ちにその欠員を補充すべきことになるものではない。また、仮に、年度途中での欠員補充が可能であっても、若年者の登用による組織の活性化等の見地から、競争試験に合格し採用候補者名簿に記載されている者を優先的に採用するのが合理的である。
b 原告は、昭和三二年八月一四日付けで中部地方建設局に採用され、昭和三六年七月一日には建設事務官行政職(一)八等級に任用されたが、勤務を継続し難い事情が生じ、関係者の強い慰留にもかかわらず、原告の希望により、昭和四三年五月一五日付けで退職したものであり、その後、原告から、生活を維持する必要から、職務は問わず再び建設省に就職したいとの強い申出があり、中部地方建設局長としては、かかる経緯での再採用は異例であったが、定数状況及び原告の個人的事情も斟酌した上で、定員外の準職員として再採用したものであった。
したがって、中部地方建設局長において、原告を再採用するに当たり、機会を見て原告を行(一)職員にする意思はなかった。
ところで、建設省においては、当時、事業の執行方法が直営方式から請負方式に切り替わるなどの建設行政を取り巻く状況の変化により、行(二)職員が従来行ってきた庁務、電話交換、機械運転等の業務が徐々に減少していたため、原告に対しても、右の従来からの行(二)職員の業務のみではその雇用を維持することが困難であった。このような状況下においては、二か月ごとに雇用期間を更新するという準職員の立場にある原告について、雇用を終了させるという判断もあり得たが、中部地方建設局長としては、原告の希望を踏まえ、雇用の維持に配慮し、書類の取次ぎ、簡単な書類の作成、確認事務、単純な計算事務等、定型的で簡易な事務補助の業務に従事させてきたものであった。
すなわち、中部地方建設局長は、昭和三六年の閣議決定により準職員の採用は原則として認められない状況の中で、準職員を採用するまでの業務の必要性があるとは言い難いにもかかわらず、原告の個人的事情を最大限に慮り、生活保障的観点から準職員として採用したものであり、さらに、準職員の業務が減少していく中で、雇用を終了させる方法もあり得たが、原告の個人的事情や希望を十分に斟酌して準職員としての雇用を維持してきたものである。
したがって、定員内の行(二)職員と原告のどちらか一人を行(一)職員に任用しなければならないとなった場合、右の経緯は当然に判断要素の一つになるものである。
c 原告が昭和五五年八月に受けた職転研修及び試験は、本来、定員内職員である行(二)職員に行(一)職員としての職務遂行能力があるか否かを検証する一助にするためのものであって、これを受けさせたからといって職転を当然に認めることになるわけではなく、中部地方建設局長が原告にこれを受けさせることは任用意思とは直接関わりがないことである。
昭和五二年以降、職転研修を受けても行(一)職員になっていない者は原告を含め八名存在する。また、昭和五五年の職転研修を受けた三六名のうち、その直後に職転したのは一六名にとどまり、最終的にも原告を含め四名が職転しなかった。
原告は、職転研修を一回受けたことで行(一)職員への任用を当然のように要求し、さらには、あたかも一回の受講を任用義務発生の法的根拠のように主張するが、右のとおり、職転研修は職務遂行能力を検証する一助にするためのものに過ぎないから、職転研修を受講した者全員が職転するわけではなく、実際に、一回の職転研修の受講で行(一)職員になった者もいるものの、他方、数回にわたって職転研修を受けてようやく行(一)職員になった者もいれば、何回受けても行(一)職員になれなかった者もいるのであり、職転研修を受講した他の職員との権衡からしても、原告の主張は不当なものである。
<3> 三次的主張に対して
ア 中部地方建設局長は、原告に対し、行(二)表適用職務である事務補助を担当させていたものであり、行(一)表適用職務に従事させていたものではない。
仮に、原告が担当していた業務が行(一)表適用職務と認定されるとしても、そのことから直ちに原告に対して、法的保護に値するような担当職務にふさわしい正当な俸給を受給する期待権が発生するものではない。
けだし、原告が行(一)職員の待遇を受けるためには行(一)職員への任用行為が必要であるところ、任用行為は任命権者の裁量行為であることからすれば、原告の行(一)職員の待遇を受けるという期待は主観的なものにすぎず、法的に保護されるべき「期待権」を有していたとは認められないからである。
また、仮に、原告に対する職務命令が違法であったとしても、かかる違法行為がなにゆえ、期待権を侵害することになるのか、原告の主張によっても明らかでない。
なお、原告が主張する期待は、昭和三六年に全国規模で行われた準職員の定員化の際に自らが定員内職員となった経験に基づくものと思われるが、それ以降、準職員の定員化は、原則として行われなくなったのであるから、昭和五五年以降に定員内職員になれるとの期待を有していたとしても、それは法的に保護されるべき期特権ではあり得ない。
さらに、原告が昭和五五年に受けた職転研修及び試験の性格からしても、これらを受けたからといって職転が当然に認められるという関係にもないから、これによる期待も法的に保護されるべき利益とはおよそ言い難いものである。
イ 原告は、中部地方建設局長が行(二)職員である原告に行(一)表適用職務を命じたことは違法である旨主張するが、職務命令は裁量行為であり、職員にどのような命令を発するかは、業務の内容、当該職員の能力、当該職員の希望等の個人的事情、組織全体の業務状況等の諸般の事情を総合的に考慮して発するものである。
そして、裁量行為の違法性は、諸般の事情を総合的に考慮して、公権力行使の合理性ないし正当性の有無によって判断されるべきものであるところ、本件では、次のa及びbの事情から違法とは判断されないものである。
a 原告は、昭和四六年一〇月一六日に準職員として再採用された際、「デスクの仕事」をしたいとの希望を述べていたことから、当局としても、担当職務を命ずるに当たり、原告の意思を最大限尊重した結果、当該職務命令を発したものであり、原告も当該職務命令に同意していたものである。
b 原告に担当させるべき行(二)表適用職務がなければ雇用を打ち切ることもあり得たところ、雇用を継続してきたのは原告への生活保障を考慮したものであり、当該職務命令は雇用継続のための配慮でもあったのである。
また、国公法一〇五条は、職員は法律、命令、規則又は指令によって割り当てられた職務を担当する以外の勤務義務を負わないことを規定しているが、同規定は一種の義務免除規定であるから、職員において本来の担当職務以外の職務を行うことを命ずる職務命令に応じた場合は、同条の義務免除を自発的に放棄したものとして、職務命令の瑕疵はなくなるものと解すべきであるところ、本件においても、原告は任意に職務命令に応じているから、義務免除の法的利益を放棄したものというべきである。
(二) 損害(請求原因)
(1) 原告の主張
<1> 一次的主張及び二次的主張の場合
ア 経済的損害
原告は、平成四年一二月一六日に至ってようやく行(一)職員に任用されて行(一)表の適用を受けるようになったものであるが、遅くとも昭和五五年一〇月一日までには行(一)職員に任用されなければならなかったものであり、行(一)職員として得べかりし給与と行(二)職員として現実に受けた給与との差額が原告の被った経済的損害となるところ、その具体的金額は、別紙損害額計算書の「損害額総計」欄記載のとおり、一〇六七万〇七〇〇円となるもので、原告は、被告(中部地方建設局長)の違法な公権力の行使により、同額の経済的損害を被ったものである。
原告は、平成四年一二月一六日、行政職(一)四級一六号俸に任用されているところ、昭和五五年一〇月一日に行政職(一)に任用されたとして、平成四年一二月一六日に四級一六号俸に到達するためには、別紙損害額計算書の「行政職(一)表適用給与」の「級-号俸」欄記載のとおり処遇されてはじめて到達し得るものであるから、被告(中部地方建設局長)の違法行為がなければ、右「級-号俸」欄記載のとおりの賃金が支払われたはずであることは、被告も自認しているというべきである。
イ 慰謝料
原告は、被告(中部地方建設局長)の違法な公権力の行使により、その人格、名誉に重大な侵害を受け、多大な精神的苦痛をも受けたものであるところ、その行為が、法律に基づいて職務執行すべき国家公務員たる任命権者によってなされたという悪質性と、その行為が長期間にわたって継続されてきたという事情を考慮すれば、これを慰謝するには五〇〇万円をもって相当というべきである。
<2> 三次的主張の場合
ア 経済的損害(期待利益の侵害による)
原告は、行(二)職員の官職のまま恒常的に行(一)表適用職務に従事させられてきたのであるから、行(一)職員の待遇(給与を含む)を得られると期待するのは当然であり、かかる期待は法的利益として保護されるべき程度に達しているものである。
そして、右の期待利益が侵害されたことによる経済的損害は、行(一)職員としての待遇を得られた場合の給与等の相当額と現に受けた給与等との差額であり、結局、一次的主張及び二次的主張の場合と同額になる。
イ 慰謝料
原告は、被告(中部地方建設局長)の違法な公権力の行使により、長期間にわたり、自己の官職本来の職務とは異なる、より複雑で責任の重い他の官職の職務の遂行に伴う過重な労務負荷にさらされる一方、官職(俸給表)と担当する職務との不一致という事態が放置され、条件の劣る待遇を受け続けたことなどにより、多大な精神的苦痛を受けたものであり、これらの非財産的損害を慰謝するには五〇〇万円をもって相当というべきである。
(2) 被告の主張
<1> 一次的主張及び二次的主張の場合
ア 経済的損害
原告は、原告主張の各時期に昇格、昇給することを前提として損害額を計算しているが、こうした任用行為を行うか否かは任命権者の裁量に委ねられているものであるから、被告(中部地方建設局長)の行為と原告主張の損害額との間に因果関係はないというべきである。
イ 慰謝料
任用行為を行うか否かは任命権者の裁量に委ねられていることからすれば、原告において精神的損害を被ったとはいえないものである。
<2> 三次的主張の場合
ア 経済的損害(期待利益の侵害による)
原告の主張する期待権が、法的に保護されるべき利益とは言い難い以上、原告が経済的損害を被ったとはいえないものである。
イ 慰謝料
原告の主張する期待権が、法的に保護されるべき利益とは言い難い以上、精神的損害も認められないというべきである。
(三) 謝罪広告(請求原因)
(1) 原告の主張
原告が被告(中部地方建設局長)の違法な公権力の行使によって受けた損害は、単に金銭賠償のみによっては回復され得ないものであり、任命権者である中部地方建設局長は、長期間にわたって原告を違法、不当に評価し、その名誉、信用を毀損し続けてきたのであるから、原告の名誉、信用を回復させるためには、請求第二項の謝罪広告の掲載が必要不可欠なものである。
(2) 被告の主張
中部地方建設局という限られた職場における原告の任用関係が問題となっている本件において、原告が世間から相当に受けるべき評価であるとか、金銭による損害賠償のみでは填補されえないような人格的価値に対する損害などは考えられない。
また、原告の請求する謝罪文自体も、原告個人とは関係のない職員団体(全建労)の事柄が記載されており、内容としても失当である。
(四) 消滅時効(抗弁)
(1) 被告の主張
原告が本件訴訟を提起した平成五年二月二五日から三年以前の損害についての請求権は、既に時効によって消滅しているところ、被告は、右消滅時効を援用する。
ところで、原告は、実際に行政職(一)四級一六号に格付けされなければ損害算定のしようがなく、消滅時効の起算点である損害を知りたる時は平成四年一二月一六日であると主張しているが、原告においては、中部地方建設局長がどのような格付けを行おうとも、他の職員との均衡等を勘案して、独自に損害額を算定することは可能であったはずであるから、原告の主張は理由がない。
(2) 原告の主張
消滅時効の起算点は、民法七二四条前段にいう「損害を知りたる時」をいい、「損害を知りたる時」とは、加害者の行為が違法であってそれにより損害が生じたものであることを被害者が確実に認識したときをいうところ、同条の趣旨が、被害者において加害者に対し請求することが可能となった時から時効期間を進行させることにある点にかんがみれば、「損害を知りたる時」とは、損害賠償請求が事実上可能な状況のもとにおいて、それが可能な程度に具体的な資料に基づいて加害者及び損害を認識し得た場合であることが必要である。
本件において、かかる意味で原告が「損害を知りたる時」とは、原告が行(一)職員に任用された平成四年一二月一六日であり、この時期になってはじめて損害賠償請求が可能になったというべきである。
すなわち、原告は、当局から、行(一)職員としての任用がない限り行(一)表の適用はできないと理解させられていたものであり、中部地方建設局長の不作為が違法な公権力の行使に当たる行為に該当することを知ったのは、人事院中部事務局の富田給与第一課長が、準職員の定員化は任命権者の判断でできる旨述べた平成二年七月一九日であるし、損害の有無、程度が確定的に判明したのは、行政職(一)四級一六号に任用された平成四年一二月一六日である上、原告は昭和五五年八月五日から同月七日に実施された職転研修及び試験を受け、さらに、いずれ職転が認められるとの当局の言動を信じて、その発令を待ち続けていたのであり、昭和六三年一一月二四日に人事院に対してなした二回目の行政措置要求の判定が出ないうちは損害賠償請求訴訟を提起できない状況にあったからである。
(五) 権利濫用(再抗弁)
(1) 原告の主張
被告は、原告に対し、行(一)職員にすることを約束してはこれを引き延ばしてきたものであり、このような対応を繰り返してきた被告が消滅時効を援用することは権利の濫用に当たるもので許されないというべきである。
すなわち、原告が平成五年に至るまで本件訴訟を提起できなかったのは、主として、当局が、原告を速やかに行(一)職員に任用することを約束する発言を繰り返していたからであり、また、原告が人事院に対してなしていた行政措置要求について判定が出るのを待っていたという事情もあってのことである。原告が昭和五四年一二月ころになした一回目の行政措置要求を昭和五五年七月ころ取り下げたのも、当局が、原告に職転研修及び試験を受けさせたことにより、処遇是正がされると信じたからである。
したがって、被告において消滅時効を援用することは、信義誠実の原則及び禁反言の原則に反しており、権利濫用であることは明らかである。
(2) 被告の主張
任命権者である中部地方建設局長が、原告を速やかに行(一)職員に任用することを約束していた事実などなく(もしそうであれば、原告はもっと早期に訴えを提起していたはずである。)、原告の主張は、その前提を欠くものである。
3 不当利得返還請求の成否
(一) 損失と利得(請求原因)
(1) 原告の主張
<1> 原告の損失
原告は、行(二)職員の地位に置かれたまま、恒常的に行(一)表適用職務に従事していたものであり、行(一)職員に任用され、俸給について行(一)表の適用を受けていれば得られた給与と現に受けていた給与との差額が損失であるところ、その価額は、前記2(二)(1)<1>アにおいて主張した経済的損害額と同額の一〇六七万〇七〇〇円である。
<2> 被告の利得
被告は、行(一)表を適用した給与を支払うことなく、行(一)表適用職務についての労務の提供を受けたものであり、行(一)表を適用した場合の給与から現に受けていた行(二)表による給与を差し引いた差額を利得しているものであるところ、その価額は、原告の損失と同額となる。
(2) 被告の主張
<1> 原告の損失
原告は、実質的には行(一)職員に任用された場合の給与の未払分を請求しているもので、任用行為なくして行(一)表を適用した給与の請求をしているものに他ならないところ、任用行為がない以上かかる請求権は発生しないのであって、原告にはもともと損失は発生していないというべきである。
<2>被告の利得
国家公務員の毎年の給与は、他の歳出項目と同じく、前年度の通常国会において審議を受け、その議決を経るものであり、歳出予算の要求書においては、各機関の定員に平均給与額を乗じた金額が予算額になり、歳出予算の科目(目)としては、定員内職員については「職員基本給」、定員外の常勤職員については「常勤職員給与」となっている。
したがって、定員内職員の給与については、定員の範囲内で支払総額が決まっているのであり、仮に、原告を行(一)職員に任用したとしても、国が支払う定員内職員への給与総額には変動がなく、むしろ原告に対してそれまで支払っていた準職員の給与分の支払が減少する結果になるものであり、国には、原告が主張するような利得は一切発生していない。
もっとも、原告が定員内職員となった場合、支払総額に若干の増額が見込まれると仮定しても、準職員への支払総額の減少により、トータルの支払総額に増加は生じないものである。
(二) 法律上の原因(請求原因)
(1) 原告の主張
中部地方建設局長には、行(二)職員たる原告に恒常的に行(一)表適用職務を命じ得る法的根拠はなく、かかる職務命令は違法なものであったから、中部地方建設局長は、法律上の原因なく原告をして行(一)表適用職務に従事させたものであったというべきである。
(2) 被告の主張
そもそも、不当利得における「法律上の原因がない」とは、公平の理念からみて、財産的価値の移動を当該当事者間において正当なものとするだけの実質的、相対的な理由がないことを意味するものであるところ、原告に職務を命ずるについて存在していた前記2(一)(2)<3>イのa及びbの事情からすれば、「法律上の原因がない」とはいえず、職務命令の裁量の範囲内のことであったというべきである。
仮に、原告に対して命じた職務が行(一)表適用職務であると評価され、違法な職務命令であったとしても、その職務命令には公定力があるから、「法律上の原因」がなかったとはいえないものである。
また、国公法一〇五条の趣旨からすると、当該職員が本来の職務以外の職務命令に応じた場合は、同条の義務免除の利益を自発的に放棄したものとみなされるものであるから、仮に、職務命令に瑕疵があったとしても、瑕疵は治癒されるというべきである。
(三) 悪意(請求原因)
(1) 原告の主張
被告は、行(二)職員である原告に対し、行(一)表適用職務を命ずる法的根拠がないことを、遅くとも昭和五五年一〇月一日までには知っていたというべきであるから、法律上の原因のないことについて悪意であった。
(2) 被告の主張
特定の職員にいかなる職務を命ずるか、あるいは、行(一)職員に任用するか否かは、いずれも裁量行為であるところ、中部地方建設局長は、あくまで裁量の範囲内で原告に対応していたものであるから、法律上の原因がないことについて悪意であったとはいえないものである。
(四) 非債弁済(抗弁)
(1) 被告の主張
原告に命じた職務内容は、原告の希望に添ったものであり、原告の同意に基づいて職務の遂行をさせていたものであるから、原告の労務の提供は民法七〇五条の非債弁済に該当し、被告に対し利得の返還を求め得ないものである。
また、原告の主張からすれば、原告に対する職務命令は重大かつ明白な違法ということになるから、原告において無効なものとして拒否できたはずであるところ、これを拒否しなかったことは非債弁済の要件を充足するものである。
(2) 原告の主張
原告の職務についての希望は、「行(一)職員に任用されて行(一)表適用職務に従事すること」であったもので、行(二)職員のまま行(一)表適用職務を行うことはその希望に反するものであり、当局においてもそのことは認識していたものであった。
被告は、職務の遂行について「原告の同意」があったというが、職務命令を受けた以上、これを拒否する自由はないのであって、「原告の同意」があったとはいえないから、非債弁済には当たらないというべきである。
(五) 消滅時効(抗弁)
(1) 被告の主張
<1> 消滅時効(その1)
国公法第一次改正附則三条は、「一般職に属する職員に関しては、別に法律が制定実施されるまでの間、国公法の精神に抵触せず、且つ、同法に基く法律又は人事委員会規則で定められた事項に矛盾しない範囲において、労働基準法(中略)並びにこれに基づく命令の規定を準用する。」と規定し、労働基準法一一五条は、同法の規定による賃金、災害補償その他の請求権は二年の短期消滅時効にかかる旨規定している。
原告の不当利得返還請求は、その主張内容からも明らかなとおり、不払給与の支払請求と実質を同じくするものであるから、労働基準法一一五条が適用されるべきものであるし、一般職の国家公務員についても、国公法第一次改正附則三条により、労働基準法一一五条が準用されるべきである(昭和四一年最高裁判例解説五三五頁参照)。
したがって、原告が本件訴訟を提起した平成五年二月二五日から二年以前の請求権は、既に時効によって消滅しているというべきであるところ、被告は右消滅時効を援用する。
<2> 消滅時効(その2)
原告の主張する不当利得返還請求権は、公務員関係を基礎とした公法上の債権であるから、会計法三〇条により五年の消滅時効にかかるものである。
したがって、原告が本件訴訟を提起した平成五年二月二五日から五年以前の請求権は、既に時効によって消滅しているところ、被告は右消滅時効を援用する。
<3> 消滅時効(その3)
原告が本件訴訟を提起した平成五年二月二五日からー〇年以前の損害についての請求権は、民法一六七条により時効によって既に消滅しているところ、被告は右消滅時効を援用する。
(2) 原告の主張
<1> 消滅時効(その1)に対して
原告の請求は、不当利得返還請求権であり、不払給与支払請求権ではないので、労働基準法一一五条が適用される余地はない。
また、消滅時効の起算日は、原告において、不当利得返還請求権の行使が可能になったときであるところ、不当利得返還請求権の行使が可能になったときとは、前記2(四)(2)と同様の理由により、原告が行(一)職員に任用された平成四年一二月一六日であり、この日が消滅時効の起算日である。
<2> 消滅時効(その2)に対して
不当利得返還請求権は、私法上の債権であるから、会計法三〇条が適用される余地はない。国家公務員の任用関係は公法関係であるが、公法関係から生ずる債権が全て公法上の債権であるわけではなく、発生原因によって公法上の債権か私法上の債権かが区別されるのであり、民法の不当利得の規定によって発生する不当利得返還請求権は、私法上の債権というべきである。
被告は、非債弁済の主張をしているところ、これは不当利得返還請求権が民法上のものであることを前提としているものであり、他方で公法上の債権であるとして会計法三〇条の適用を主張するのは、自己矛盾というほかない。
また、消滅時効の起算日は、前記のとおり、平成四年一二月一六日である。
<3> 消滅時効(その3)に対して
不当利得返還請求権に民法一六七条の適用があることは被告主張のとおりであるが、消滅時効の起算日は、前記のとおり、平成四年一二月一六日である。
(六) 権利濫用(再抗弁)
(1) 原告の主張
被告は、原告に対し、行(一)職員にすることを約束してはこれを引き延ばしてきたものであり、このような対応を繰り返してきた被告が消滅時効を援用することは信義則に反するもので許されないというべきである。
(2) 被告の主張
任命権者である中部地方建設局長が、原告を速やかに行(一)職員に任用することを約束していた事実などなく、原告の主張はその前提を欠くものである。
第三争点に対する判断
一 準職員(常勤労務者)の任用制度とその取扱いの変遷及び中部地建の定員事情等について
1 証拠(甲八、二〇四、二〇六、二三八、二四二、二四三、二四七、乙一、九ないし一三、三八ないし四〇、四五ないし四七、五〇、六四、六五、六八、七一ないし七四、七六、証人林正順、同吉田英一及び弁論の全趣旨)によれば、次の各事実が認められる。
(一) 戦前の旧官吏制度のもとにおいても、任命権者の自由裁量によって任命され、当初、非常勤であったものから次第に常勤化した嘱託員の制度があったが、右嘱託員制度は、戦後の成績主義を原則とし、公務の民主的かつ能率的な運営を企図した公務員制度にはなじまないものであったことから、嘱託員制度を廃止し、新たに非常勤職員の任用制度を確立することが要請された。
しかして、昭和二三年三月に発布された「嘱託員制度の廃止に関する政令」(昭和二三年政令五六号)により、当時、約四万二〇〇〇名いた嘱託員はすべて解職され、国公法又は人事委員会規則が適用されるまでの間、暫定的に非常勤又は常勤の臨時職員として規制されることとなり、同時に臨時職員制度の事務は臨時人事委員会に移管された。
臨時人事委員会は、同年九月に臨時職員の一斉調査を実施するとともに、新たに臨時職員を任命する場合は臨時人事委員会の承認を得なければならないこととし、臨時職員の減少に努めたため、昭和二三年九月末時点で約三万名いた臨時職員も昭和二四年三月初めには約二万名に減少した。
(二) 昭和二四年三月、人事院は、非常勤職員の取扱いについて、次のような方針を決定した。
(1) 臨時職員制度は五月末日をもって廃止し、常勤の臨時職員は、六月一日施行の定員法の定員に組み入れる。
(2) 非常勤の臨時職員は、国公法附則一三条に基づいて人事院規則を制定し、これによって統一的に規律する。
(3) 従来、臨時職員の取扱いを受けていなかった人夫、作業員等も、非常勤の職員については人事院規則で規律する。
(4) 臨時的な業務に一定期間従事する者は、国公法六〇条の臨時的任用の規則を制定して規律する。
昭和二四年五月三一日、右方針に基づいて人事院規則八-八(臨時職員制度の廃止)、八-七(非常勤職員の任用)が制定され、国公法のもとにおける新しい非常勤職員任用制度が確立したところ、人事院規則八-七で定められた非常勤職員の任用制度は、次のようなものであった。
(1) 非常勤職員の官職を、任用についてあらかじめ人事院の承認を要するものと要しないものに分けた。
(2) 人事院の承認を要しない官職については、任命権者が選考によって職員を任用する。
(3) いずれの非常勤職員も、昇任、転任及び常勤官職への任命換については、人事院の承認を必要とする。
一方、行政機関職員定員法は、常勤職員の範囲を、行政機関に常時勤務する国家公務員で一般職に属する者(ただし、二か月以内の期間を定めて雇用する者を除く。)と定めたため、二か月以内の期間を定めて雇用される者は、人事院規則八-七に規定する非常勤職員の中に含められることになった。
(三) しかしながら、非常勤職員の勤務の態様は常勤職員と全く同様であり、人事院規則一五-四に定める勤務時間によりがたいものがあったため、昭和二五年二月八日、人事院規則一五-四が改正され、非常勤職員の勤務時間は、一日について八時間とすることができるようになった。
これらの職員は、雇用期間が限定されていたものの、同一人の雇用期間を更新して雇用することが、業務の習熟度からみてより能率的であるという理由から、引き続き長期間にわたって雇用されるようになり、常勤職員との差異が認められないようなものも生じ、これらの職員を多数雇用している機関では、職員組合からの待遇改善の要求が激しくなった。
そこで、昭和二五年六月ころから、大蔵省、行政管理庁、人事院の間で協議が重ねられ、昭和二五年九月一二日人事院事務総長通達任審発二六三号により、同年一〇月一日以降、これらの非常勤職員のうち、人夫、作業員、その他これらに類する者で、給与法一四条の規定による勤務時間で勤務することを要し、かつ、職務の性質上通常同一人が継続して勤務することを例とする官職にある者は、その雇用期間が二か月以内で定められているものであっても、これを常勤職員として取り扱うことになり、さらに、同年九月二二日同事務総長通達任審発二七〇号により、次のような取扱いの細則が定められ、常勤労務者制度が発足した。
(1) これらの職員を「常勤労務者」と呼称する。
(2) 常勤労務者の範囲は、肉体的又は機械的労務に服する人夫、作業員、その他これらに類する者で、同一人が引き続き一二か月を越えて勤務する官職にある者とする。
(3) 常勤労務者の任用は、人事院規則八-一による(任命権者の選考による任用によることとなる)。
(4) 雇用期間は、二か月とし、雇用期間満了の際、何らの通知をしない限りその雇用は更新され、更新された雇用期間の前後を通じて引き続き勤務したものとして取り扱う。
(5) 現に非常勤職員である者を常勤労務者にする場合には、「任命換」として発令し、人事院の承認(人事院規則八-七の五項)があったものとして取り扱う。
(四) 一方、常勤職員として取り扱われることになった常勤労務者以外の非常勤職員の取扱いについても、昭和二六年八月及び同年一二月の二回にわたって人事院規則八-七の改正が行われ、非常勤職員の昇任、転任についての人事院の承認は廃止され、非常勤職員の任用は、細則にかかげる官職については任命権者の、その他の官職については人事院の定めるところによることとなったが、この細則八-七-二に掲げられた非常勤の官職にはほとんど全ての非常勤の官職が含まれていたため、非常勤職員の任用は、ほぼ全面的に任命権者が選考によって行うこととなった。
(五) 昭和二七年五月二三日には、人事院規則八-一二が制定され、常勤労務者の任用は、この規則の常勤職員として取り扱われることとなり、前記事務総長通達任審発二六三号及び同二七〇号は廃止され、これによって、常勤労務者の採用は、定員内の常勤職員と同様に原則として競争試験により採用されることになったものの、同規則八三条の採用候補者名簿がない官職については、任命権者の選考による採用が認められ、試験の都度公告される採用試験公告にも、常勤労務者は、「肉体的又は機械的労務に服する人夫、作業員の官職」として試験の対象外とされたため、実質的には、常動労務者の採用は、ほぼ全面的に任命権者の選考による採用となった。
一方、非常勤職員の採用も原則としては競争試験によることとなったが、競争試験が告知されない場合は選考によることとなり、さらに、人事院指令八-二(人事院規則八-一二の一四条の規定に基づく官職の指定)で指定する非常勤官職、任期九〇日以内の非常勤官職への採用は、任命権者の自由裁量にゆだねられることとなったところ、同指令八-二に指定された官職は、非常勤官職のほとんど全部を含んでいたことから、非常勤職員の採用のほとんどが任命権者の自由採用となった。
(六) ところで、常勤労務者の任用の実態としては、前記事務総長通達任審発二六三号及び同二七〇号の発せられた当初は、「肉体的又は機械的労務に服する人夫、作業員」として、事務職員、技術職員等は含まれない方針がとられていたが、これらの通達の「これらに類する者」との規定の不明確さから、当時毎年のように行われた行政整理と、常態のようになった定員の不足を補う必要性とが相まって、事務補助員、技術補助員といった職員も常勤労務者として雇用されるようになり、しかも、人事院規則八-一二により常勤職員として取り扱われるようになったため、常勤職員内の配置換は、定員の内外を問わず任命権者の選考によって自由に行えるようになり、常勤労務者として選考により採用した事務、技術の補助職員を、数か年あるいは数か月のうちに定員内の常勤職員とする傾向も見られるようになった。
また、非常勤職員の任用の実態も常勤労務者と類似の傾向を生じ、定員の不足を補うために日々雇用という形式で採用された非常勤職員も、同一人が長期にわたって継続して雇用されるようになったため、次第に業務に習熟し、常勤職員と職務内容の上で全く差異がなくなり、いわゆる常勤的非常勤職員というものが発生し、しかも、昭和二九年度から、常勤労務者について、予算上「常勤労務者給与」という単独の目が設けられ、予算定員のような形でその員数を制限されるようになったため、常勤的非常勤職員が急速に増加することになり、昭和二七年一〇月一日時点で、常勤労務者二万五〇六六名、常勤的非常勤職員一万六二九六名であったものが、昭和二九年度には、常勤労務者約三万名、常勤的非常勤職員約二万七〇〇〇名に達した。
(七) このようなことから、各省庁における補助的業務に従事する職員の採用は、まず非常勤職員として採用し、それが常勤的になると常勤労務者に転任し、さらに定員内の常勤職員へ異動するという段階的な任用が常態化するようになり、初級試験の合格者であっても、いったん非常勤職員あるいは常勤労務者として採用し、その後に定員内の常勤職員に配置換するという事態まで生じてきたことから、昭和三〇年八月、人事院は、成績主義の原則に基づく試験制度による任用を守るため、人事院規則八-一二の特例として人事院規則八-一四(二箇月以内の任期を限られた職員等の任用に関する特例)を制定し、常勤労務者及び非常勤職員の任用を規制するようになった。
人事院規則八-一四による常勤労務者及び非常勤職員の任用についての規制は、次のとおりであった。
(1) 二か月以内の任期を限られた常勤職員(常勤労務者)、非常勤職員の採用は、任命権者の自由任用とする。
(2) 定員内の官職への異動は選考により行う。ただし、試験の対象となる官職への異動は、名簿記載者(採用試験合格者)に限る。
(3) 人事院指令八-二は廃止する。(非常勤職員の採用が全部自由任用になり、不要になった。)
この規制の趣旨は、成績主義を厳格に要請する必要の少ない非常勤職員等は自由任用とし、これらの職員を成績主義が厳格に要請される恒久的、一般的官職に転任、配置換するについては厳格に規制することにしたものであり、これにより、常勤労務者、非常勤職員の安易な定員化は一応防止されることになった。
しかしながら、常勤労務者、非常勤職員についての定員上の規制が伴わなかったため、これらの職員が増加の一途をたどり、昭和三三年一〇月一日には、常勤労務者六万〇六二五名、非常勤職員三万二八七八名に達し、他方、定員内職員への異動が制限されたため、職員組合はこれらの職員の定員化を強く要求し、国会においても、この問題が追及されるようになった。
(八) 昭和三三年度になって多数の定員外職員の定員化を認めざるを得ない情勢にたち至り、約二万七〇〇〇名が定員内に繰り入れられることになり、その中には試験合格者以外の者も多数含まれていたが、これらの職員を試験の対象となる官職へ異動させる場合には、基準を設けて審査し、成績主義の維持を図った。
昭和三四年度には八〇〇二名、昭和三五年度には五〇〇〇名の定員化が行われたところ、これまでの定員化は常勤労務者の定員内への異動であり、常勤労務者は、昭和三五年三月末時点では二万九五二一名に減少した。他方、常勤的非常勤職員は、かえって増加の一途をたどり、同時期で四万七六八八名にも達した。
三年間にわたる定員化により定員数の増加を行うことになり、行政整理の要請と逆行する事態となったため、政府は、昭和三六年二月二八日「定員外職員の常勤化防止について」閣議決定(昭和三六年閣議決定)をなし、新しい定員規制制度を定めたところ、その内容は、次のとおりであった。
(1) 昭和三六年二月二八日以後、常勤労務者は新規に任命しないものとし、業務の遂行上特に新規に任命する必要があるときは、行政管理庁と協議する。
(2) 同日以後、日々雇用の非常勤職員を任用するときには、その任用予定期間を明示し、任用予定期間は、必ず発令日の属する会計年度の範囲内で定める。
(3) 任用予定期間が終了したときには、その者に対して引き続き勤務させないよう措置する。
行政管理庁では、右閣議決定に従い、昭和三六年度に四万八五〇七名の定員化を行った後、残余の定員外職員である常勤労務者一二〇四名、常勤的非常勤職員二万八九六一名について同年度内に実態調査し、定員化の対象とするか否かを決定し、定員化を必要とする者については、昭和三七年度中に措置を講ずることとした。
(九) 人事院は、昭和三六年六月二日、人事院規則八-一四を改正し、二か月以内の任期を限られた常勤職員(常勤労務者)の採用については、定員内の常勤職員と同様に人事院規則八-一二によることとするため、この規則から除くこととし、この規則は、非常勤職員の任用に関する特例とすることとした。
このようにして常勤労務者は、昭和三六年度の定員化により、炊婦等一部の厚生関係の労務職員等を除いて廃止されることになり、常勤的非常勤職員についても、昭和三七年度の二万八〇六三名の定員化により消滅する措置が講じられ、政府においては、昭和三七年一月一九日「昭和三十七年度の定員外職員の定員繰入れに伴う措置について」閣議決定(昭和三七年閣議決定)をなし、定員繰入れ措置を終了することを明らかにした。
これにより、昭和三三年度以降行われてきた定員外職員の定員化も昭和三七年度をもって完結とされ、昭和三八年度以降は、非常勤職員が定員内職員に異動するためには、欠員の発生と任命権者の選考が必要となったものであり、特に競争試験の対象となる定員内の官職に異動する場合は、原則として、試験に合格するか、あるいは、選考採用の条件に従って人事院の承認を得て異動させるかいずれかの方法によることになり、任用の実態としても、各省庁とも、非常勤職員の常勤化については極めて慎重に取り扱うようになった。しかして、中部地建においても、常勤労務者(準職員)を定員内職員に異動させることは、原則として行わないものとされた。
このような一連の措置により、昭和三六年二月二八日以降においては、常勤労務者の新規採用が原則として禁止され、業務遂行上特に新規に任命する必要があるときは、行政管理庁との協議が必要となった上、さらに、同年六月二日以降においては、常勤労務者の任用は、定員内の常勤職員と同様に人事院規則八-一二によることになったものであり、実態としても、昭和三六年度の定員化を経て常勤労務者は炊婦等一部の厚生関係の職員等を除いて廃止されたものであった。
なお、昭和三六年六月一日以降引き続き在職する二箇月以内の任期を限られた常勤職員(常勤労務者)の他の官職への異動については、なお従前の例によるとされ(人事院規則八-一四の四条)、「人事院規則八-一四(非常勤職員等の任用に関する特例)の運用について(通知)」によれば、「従前の例による」とは、(1)人事院規則八-一二の一二条三項又は人事院規則八-一三の二条六項の規定による異動の場合を除き、選考を経て行わなければならない、ただし、二箇月以内の任期を限られた常勤職員としての異動及び非常勤官職への異動は、競争試験又は選考のいずれによらないでも行うことができる、(2)選考によって異動させる官職が競争試験により採用しなければならない官職である場合は、二箇月以内の任期を限られた常勤職員として異動する場合を除き、採用候補者名簿に記載された者(試験合格者)でなければならない、ただし、昭和三〇年八月三一日以降引き続き在職している者の異動については、競争試験の結果に基づいて任用されているものにあっては人事院規則八-一二の規定、その他の職員にあっては任命権者が人事院の承認を経て定める基準によることができるという趣旨であった。
また、昭和三七年閣議決定によれば、昭和三六年閣議決定に基づき行政管理庁に報告された常勤労務者(昭和三六年二月二八日以後に新規採用された常勤労務者も含まれる。)等で、昭和三六年度の定員繰入れより除かれたものの取扱いについては、その者が国家公務員としてその職を保有している間は、なお従前の処遇によるものとされ、これらの者に支払われる俸給は、歳出予算の「常勤職員給与」の目から支給されるものとされている。
(一〇) 建設省においては、昭和三七年度の定員外職員の定員繰入れ後においても、定員化されなかった常勤労務者が六六一名存在し、中部地方建設局内においても七五名存在していたところ、これらは、清掃、炊事等の厚生関係の労務に従事する者で準職員あるいは厚生福祉職員と呼ばれていた。そして、これらの準職員が退職すれば新たに準職員が採用されて補充されることが多かったため、準職員は容易に減少しなかった。
そして、原告も、準職員たる労務員(厚生福祉職員)として補充する形式で、昭和四六年一〇月一六日、中部地方建設局に採用された。
ところで、建設省は、昭和三〇年代後半から昭和四〇年代の前半にかけて、公共事業の拡大に対応するため、事業の方式を直営から請負に切り替えて職場の合理化を推進した。そのため、行(二)職員が従来行ってきた庁務、機械運転等の業務が徐々に減少し、建設省は、定員内の行(二)職員をして行(一)表適用職務に従事させるようになったところ、職員団体において、こうした職員について行(二)職員から行(一)職員への職転を求める要求が出されるようになり、昭和五二年七月一六日には、九年ぶりに一〇名の行(二)職員について行(一)職員への職転の発令がされ、その後、平成三年度までの間に、中部地方建設局全体で一三五名の定員内行(二)職員が行(一)職員への職転を認められた。
また、定員外職員の定員化については、建設省においても昭和三七年度をもって終了したものとされたが、その経緯、事情はつまびらかではないものの、昭和三八年以降に新規採用された準職員から、定員内の行(二)職員に任用され、その後に行(一)職員に配置換された者が、中部地方建設局内で少なくとも二名は存在していた。
(一一)(1) 昭和三六年、政府は、国家行政組織法の一部を改正する法律に基づき、行政機関職員定員法を廃止し、各省庁等の定員について当該省庁等の設置法に規定するよう改めたが、公務員数の増加抑制のために、昭和三七年七月一〇日「欠員の不補充等について」閣議決定をなし、定員の一パーセントに当たる員数の欠員は補充しないこととし、昭和三九年九月四日にも「欠員不補充措置の強化について」閣議決定をなし、以後、昭和四一年三月三一日まで欠員補充は原則として全面ストップの形がとられ、昭和四二年一〇月二〇日には、「公務能率の向上と国民負担の軽減を図るため、現行の行政運営の簡素化、能率化を進めることにより欠員の補充を最小限度にとどめ、また今後の行政事務の消長に対しては、配置転換を強力に行い、もって、総定員を計画的に削減する。」旨閣議決定され、さらに、昭和四三年二月二日には「今後における行政改革の推進について」が閣議決定され、昭和四三年度から行政改革による定員削減計画が実施されるようになり、昭和四四年五月一六日には定員法が公布施行され、定員管理が強化されていった。
(2) 昭和五五年八月二〇日、翌年三月に発足する臨時行政調査会の前身的役割を果たすものとして、政府部内に「行政改革推進体制検討班」が設置され、昭和五六年三月一六日には臨時行政調査会が発足し、同年九月一一日に第六次定員削減計画が、昭和六一年八月一日には第七次定員削減計画が、平成三年七月五日には第八次定員削減計画がそれぞれ閣議決定された。
また、昭和五八年五月二四日には、「国家公務員の定員については、第六次定員削減計画を着実に実施するほか、組織の整理再編、事務・事業の合理化等を積極的に推進し、その一層の縮減を図る。技能・労務職員等が携わっている事務・事業については、民間委託等の合理化措置を積極的に講ずることとし、これらの職員の採用は、公務遂行上真に必要な場合を除き、昭和五九年度以降行わないものとする。」との昭和五八年閣議決定がなされた。
右のとおり、国家公務員の定員は、臨時行政調査会による行財政改革の一環として定員削減が実施された昭和五七年度から平成三年度までの約一〇年間が特に厳しい状況にあり、また、昭和五九年度以降は、真に必要な場合を除き、行(二)職員の採用は行わないこととされたものである。
(3) 建設省においては、省全体の定員削減が適切に実施されるように、本省が中心となって、本省及び各地方機関の定員状況、職員構成、事業執行状況等を勘案して、右(1)及び(2)の各定員削減計画を実行するために本省及び各地方機関の当該年度の定員数を確定していた。
しかして、中部地建においては、昭和五七年度から平成三年度までの第六次及び第七次定員削減計画の期間中に合計四三六名の職員が削減された。また、これを事務系担当職員についてみると、昭和五四年四月一日から平成四年三月三一日までの間に、行(一)職員は三二名減少し、行(二)職員は七六名減少した。
このため、定員外職員である準職員を定員内職員に異動することは、実際にも行うことが困難な状況であった。 2(一) 右認定事実によれば、戦後の公務員制度は成績主義を原則としているところ、非常勤職員の中には引き続き長期間にわたって雇用されるようになり、常勤職員との差異が認められないような者も生じたため、昭和二五年九月に常勤労務者の制度が発足したが、その結果、補助的業務に従事する職員の採用は、まず非常勤職員として採用し、それが常勤的になると常勤労務者に転任し、さらに定員内の常勤職員へ異動するという任用が常態化するようになったことから、昭和三〇年八月、成績主義の原則に基づく試験制度による任用を守るため、成績主義を厳格に要請する必要の少ない常勤労務者等は自由任用とする一方で、これらの職員を成績主義が厳格に要請される恒久的、一般的官職へ異動するについては厳格な規制を行うこととし、これにより常勤労務者等の安易な定員化を防止することとしたが、その後も常勤労務者等は増加の一途をたどり、これが政治問題化し、昭和三三年度から昭和三六年度までに約八万八五〇〇名の常勤労務者等が定員化され、昭和三六年閣議決定により、今後は常勤労務者を新規に任命しないものとし、業務の遂行上特に新規に任命する必要があるときは行政管理庁と協議するものとされ、次いで昭和三六年六月二日の人事院規則八-一四の改正により、同日以降においては常勤労務者の任用は定員内の常勤職員と同様に人事院規則八-一二によることとなり、さらに昭和三七年閣議決定により、常勤労務者等の定員繰入れ措置は同年度をもって終了するものとされ、常勤労務者は炊婦等一部の厚生関係の労務職員等を除いて廃止されることになったものであり、昭和三八年度以降において、常勤労務者を定員内職員に異動するためには、欠員の発生と任命権者の選考が必要となり、特に競争試験の対象となる定員内の官職に異動する場合は、原則として競争試験の合格者であることが必要となったものであることが認められる。
右事実によれば、常勤労務者の定員内職員への異動は、法的に不可能ではないとしても、極めて慎重になされるべきものであり、原則としてこれを行わないとする中部地建の取扱いが不当であったということはできない。
また、昭和五八年閣議決定により、技能・労務職員の採用は、公務遂行上真に必要な場合を除き、昭和五九年度以降行わないものとされたことによって、同年度以降において、常勤労務者を定員内の行(二)職員に異動することが一層困難になったものというべきである。
(二) 前記1(一一)で認定した事実によれば、国家公務員については、行財政改革の一環として昭和四三年度から定員削減計画が実施されていたが、臨時行政調査会による行財政改革に基づく第六次及び第七次定員削減計画が実施された昭和五七年度から平成三年度までの約一〇年間が特に定員事情が厳しく、中部地建においてもその間に四三六名の職員が削減されたことが認められる。
右の事実に加え、定員外の常勤労務者を定員内の行(二)職員に異動した後、さらに行(一)職員に配置換することは、定員内の行(二)職員を定員内の行(一)職員に配置換することよりも、より一層定員事情に留意しなければならないことを考慮すると、常勤労務者を定員内の行(一)職員にすることは相当困難な状況にあったものと認められる。
なお、原告は、中部地建においては行(一)職員について毎年多数の新規採用者があり、年度途中の新規採用者も存在していたから、定員事情は原告を行(一)職員に任用することの妨げにはならない旨主張するが、定員管理は、年度末に向け、定員削減数を念頭において、定められた定員を超過しないように管理するものであるから、職員の退職等により年度途中で一時的に欠員が生じたとしても、直ちにその欠員を補充すべきことになるものではないし、仮に、年度途中での欠員補充が可能であったとしても、現に行(一)表適用職務に従事している職員を当該官職に任用するか、あるいは、若年者の登用による組織の活性化等の見地から、競争試験の合格者を採用するかは、任命権者にゆだねられた人事裁量権の範囲内の事項というべきであるから、前記のような厳しい定員事情は、常勤労務者を定員内の行(一)職員にするにつき障害となるものである。
二 原告の従事してきた職務内容等について
1 証拠によれば、次の各事実が認められる。
(一) 原告(昭和八年五月三日生)は、昭和三二年八月一四日、建設省名古屋国道工事事務所本宿出張所に非常勤職員(日々雇用)である事務補助として採用され、昭和三三年五月一日には建設省名古屋国道工事事務所岡崎出張所(後に岡崎国道維持出張所に改称)に配置換となり、同年一一月二〇日には建設省中部地方建設局常勤的非常勤職員登録原簿に登録され、共済組合への加入も認められ、昭和三六年七月一日には前記一1(八)の非常勤職員の定員化に伴って建設事務官行政職(一)八等級に転任されたが、昭和四三年五月一五日、真の退職理由を知らない上司から何度も慰留されたにもかかわらず、病気を理由として自己都合退職した。(甲四〇の1ないし5、四二、一八〇、乙二六、五六、証人守田吾朗、原告本人)
原告は、本宿出張所では機械係における作業日報の整理、建設機材等の使用伝票の整理等の事務補助を、岡崎出張所では作業員への賃金支払関係事務、作業員の日々の就労表の作成、建設材料の使用伝票の作成等の一般事務を担当していた。(甲一八〇、原告本人)
(二) 原告は、建設省への再就職を希望し、実姉の知人であった大竹にその斡旋を依頼した。そこで、大竹が、知人で当時愛知国道工事事務所の庶務課長をしていた守田庶務課長に原告の就職を依頼したところ、守田庶務課長は、原告が建設省を退職した経緯や職員の新規採用が厳しかった当時の状況を考慮して、いったんこれを断った。しかし、大竹が職種は問わない旨述べて原告の再就職を強く依頼したため、守田庶務課長は、取りあえず非常勤職員(日々雇用)として採用し、その後に準職員とすることを考え、昭和四六年七月ころ、愛知国道工事事務所豊橋工事事務所において原告を面接した。しかして、原告は、同年八月一六日付けで愛知国道工事事務所長により非常勤職員(日々雇用)として採用され、同事務所豊橋出張所に配置され、同年一〇月一六日、中部地方建設局長により、準職員である労務員(行政職(二)五等級)に採用された。(甲四〇の6、四一の1、2、四五、四八、四九、一八〇、乙二六、四〇、証人守田吾朗、原告本人)
原告は、右の守田庶務課長の面接に際し、守田庶務課長から、労務員として採用することになると言われたことから、炊事等の仕事をするのかと質問したところ、同課長からは、「そういう仕事はしない。デスクで仕事をしてもらう。」との返事があり、仕事の内容として、豊橋出張所の新築庁舎の完成する同年一二月末ころまでは同出張所に勤務し、庁舎完成後は愛知国道工事事務所で共済事務を担当してもらうことになるとの説明を受けた。(甲一八〇、原告本人)
(三) 原告は、昭和四六年八月一六日から同年一〇月一五日まで、非常勤職員として愛知国道工事事務所豊橋出張所に配置され、出勤簿等勤務時間の整理事務、来庁者の対応等の受付事務、事務所との連絡業務などの課内雑務(事務補助)を担当した。(甲一八〇、一九一、乙四〇、証人守田吾朗、原告本人)
原告は`昭和四六年一〇月一六日から同年一二月二六日ころまで、労務員の官職で愛知国道工事事務所豊橋出張所に勤務したが、担当職務は従前と同様であった。(甲一八〇、証人守田吾朗、原告本人)
(四) 原告は、昭和四六年一二月二六日ころから昭和四八年三月三一日まで、労務員の官職で愛知国道工事事務所に勤務し、庶務課庶務係に配置され、共済関係事務を担当した。(甲四〇の7、四五ないし五一、五二の1、2、五三の1、2、五五、一八〇、二三九、証人久野和光、原告本人)
原告の担当した共済関係事務の前任者は行(一)職員の建設事務官であった森隆司であり、同人から事務の引継ぎを受けたものであるが、その内容は、共済組合の短期、長期の掛金金額を計算し、これを表にして給与担当者に渡す等の業務であって、前任者の行っていた事務と同一であり、原告が準職員たる行(二)職員ということで職務内容について配慮されたようなことはなく、原告の担当した事務について他に行(一)職員の主務者がいたわけでもなかった。(甲四五ないし五一、五二の1、2、五三の1、2、五四の1、五五、一八〇、一九一、二三九、証人久野和光、原告本人)
なお、昭和四七年一月当時、電話交換室には行(二)職員の飯田博子と非常勤職員の伊藤準子の二名が電話交換手として配置されていたところ、一名が休暇等で休んだときには、庶務課に配属されていた女子職員が交代で電話交換業務を手伝っていたもので、当時、この手伝いをしていたのは、行(一)職員の建設事務官である高橋光子と同東和子に原告を加えた三名であるが、右の手伝いは臨時の応援にすぎず、原告が電話交換業務の補助を本来の担当職務として命じられていたようなことはなかった。(甲四五ないし五一、五二の1、2、五三の1、2、五四の1、五五、一八〇、二三九、証人久野和光、原告本人)
(五) 原告は、昭和四八年四月一日から同年四月三〇日までは、労務員の官職で愛知国道工事事務所庶務課庶務係において給与関係事務を担当していたところ、同月末ころ、電話交換手の一名が退職したことから、同年五月一日より電話交換業務に従事するようになり、これが昭和五三年一〇月一五日まで続いた。(甲四〇の8、9、六〇、六一、一八〇、二三九、証人久野和光、原告本人)
原告は、昭和四八年五月一日に電話交換室に移るに先立ち、それまで原告が担当していた事務のうち、共済関係事務については行(一)職員の建設事務官である後藤久美に、給与関係事務については同じく行(一)職員の建設事務官である久野和光にそれぞれ引継ぎをした。(甲四五、一八〇、二三九、証人久野和光、原告本人)
(六) 原告は、電話交換業務よりもデスクワークをしたかったことから、昭和五三年一月ころ、当時加入していた全建労の組合役員に相談するとともに、身上調査書の職務に関する希望欄に「一般庶務」を希望すること、理由その他の欄に、「長くではないが、少しの間交換をしてほしいと言われてから約五年になります。今年こそはデスクの仕事をしたいと思います。行(一)職員になりたい。」旨記載して提出した。(甲二の1、一八〇、原告本人)
原告は、女子職員一名が出産休暇に入ったため、昭和五三年一〇月一六日付けで、労務員の官職で愛知国道工事事務所庶務課経理係に併任する旨の辞令を受け、同日から昭和五四年三月三一日まで、物品室の在庫管理、購入請求、物品供用簿管理等の物品管理事務を担当するようになったところ、前任者は行(一)職員の建設事務官である越田祥二であり、同人から事務の引継ぎを受けたもので、担当した事務は前任者の行っていた事務と同一であり、原告が準職員たる行(二)職員ということで職務内容について配慮されるようなことはなく、他に行(一)職員の主務者がいたわけでもなかった。(甲四〇の10、四五、六二、七八の1、一八〇、一九一、二三九、証人久野和光、原告本人)
(七) 原告は、昭和五四年四月一日付けで、経理課の併任が解除され、労務員の官職で愛知国道工事事務所庶務課職員係の担当となり、同日から昭和六二年三月三一日まで、共済関係事務、厚生関係事務、非常勤職員関係事務、宿舎関係事務、レクリエーション関係事務などを担当するようになったところ、前任者は行(一)職員の建設事務官で主任であった佐野正明であり、同人から事務の引継ぎを受けたもので、担当した事務は前任者の行っていた事務と同一であり、原告が準職員たる行(二)職員ということで職務内容について配慮されるようなことはなく、上司に増沢武係長がいたとはいえ、他に行(一)職員の主務者がいたわけでもなかった。(甲三ないし五、三五、三七、四〇の11、五七、五九、六三ないし七〇、七七及び七八の各1、九五、九六、一八〇、原告本人)
(八) 前記一1(一〇)のとおり、建設省の事業方式が直営から請負に切り替えられて行(二)職員が行っていた業務が徐々に減少したため、定員内の行(二)職員の中には行(一)表適用職務に従事するようになった者もあり、中部地建は、これらの職員について昭和四〇年代の前半から、職転研修及び試験を受けさせてその能力を判定した上で行(一)職員に配置換(職転)していた。ところが、中部地建が、昭和五四年九月に行われた全建労東海地方本部(以下「全建労東海地本」という。)との協議の場において、今後は右の職転はしない旨述べたことから、全建労東海地本は職転を求める運動を展開し、その一環として、同年九月から同年一二月にかけて、組合員三〇名が、人事院に対し、右職転を求める行政措置要求を申し立てたところ、人事院は、右行政措置要求について、昭和五五年二月五日から同月八日にかけて来名し、実態調査を行うなどした。(甲八二の1、九三、二〇八、二〇九、二三八)
原告も、右三〇名の仲間に加わり、昭和四六年一〇月一六日に建設省に入省して以来、行(一)表適用職務に従事しており、俸給表について行(一)表を適用することを求めるとして、人事院に対して行政措置要求をした。(甲一八〇、二三八、証人林正順、原告本人)
原告を含む右三〇名の組合員らは、昭和五五年七月ころ、全建労東海地本と中部地方建設局との交渉等を経て、同年に実施される職転研修及び試験を受けられることになったことから、職転の希望がかなうことを期待して右行政措置要求を取り下げた。そして、原告を含む三六名の職員が同年八月五日から同月七日にかけて実施された職転研修及び試験を受けたが、原告の職転は認められなかった。(甲一八〇、二三八、証人林正順、原告本人)
原告は、昭和五五年九月ころ、愛知国道工事事務所長荒牧英城(以下「荒牧所長」という。)から、試験結果は良好であったが、今回の発令は待ってほしい旨聞かされた。そこで、当時愛知国道工事事務所に勤務しており、全建労東海地本愛知支部の支部長であった小崎昭弘が、右の件についてすぐに荒牧所長に説明を求めたところ、荒牧所長は、「局から今回の発令は待ってほしいと言われた。研修の問題ではなく、原告が他の人と違って準職員ということで別に考えているようだ。」と述べた。(甲八一の1、一八〇、二三八、乙三一、証人林正順、原告本人)
昭和五五年の職転研修及び試験は、行(一)表適用職務を既に一定期間行っていた者を対象とするものであり、原告を含め合計三六名が受講したが、準職員は原告のみであった。そして、このうち、同年一〇月に行(二)職員から行(一)職員への職転の発令がされたのは一六名であったが、最終的には三二名が職転を認められており、結局、最後まで職転が認められなかったのは原告を含む四名であり、うち一名は在職中に死亡し、一名は年齢等の関係から職転の希望を撤回し、他の一名は健康状態等により職転の希望が強くなかったという事情があったもので、このとき原告について職転が認められなかったのは、原告が準職員であったため定員化することに問題があると考えられたことによるものであった。(甲二三八、二四八の1、証人林正順、同吉田英一)
(九) 原告は、昭和六二年四月一日付けで、豊橋工事事務所に配置換となり、同月三〇日まで労務員の官職で同事務所総務課に配属され、調査課、管理第一課及び管理第二課を併任し、勤務時間管理、日額旅費等の事務を担当するようになった。なお、原告が愛知国道工事事務所で担当していた事務は、行(一)職員の建設事務官である山田健治主任が引き継いだ。(甲四〇の15、一六〇の1、一八一、原告本人)
原告は、昭和六二年五月一日付けで、調査課、管理第一課及び管理第二課の併任が解除され、平成四年一二月一五日まで、労務員の官職で豊橋工事事務所総務課職員係において、共済関係事務、福利厚生関係事務、健康管理関係事務、費用徴収事務等を担当するようになったところ、前任者は行(一)職員の建設事務官成田みさをであり、同人から事務の引継ぎを受けたもので、担当した事務は前任者の行っていた事務と同一であり、原告が準職員たる行(二)職員ということで職務内容について配慮されるようなことはなく、上司に山口吉郎係長(昭和六三年四月一一日からは西村秀信係長、平成二年六月一一日からは篠原正年係長、平成三年四月一日からは西尾美佐雄係長に交替した。)がいたとはいえ、他に行(一)職員の主務者がいたわけでもなかった。(甲九ないし一一、一二ないし二六の各枝番全部、二七ないし三三、三六、三九、四〇の16、七一ないし七六、一五九ないし一六一の各1、一六三の1、一六七の1、一七一の1、一七九の1、一八一、原告本人)
(一〇) 中部地建では、昭和五五年以降も職転を実施したが、原告については、昭和三七年閣議決定により準職員の定員化はしないこととされたこと、昭和五七年から平成三年まで第六次及び第七次定員削減計画が実施され、中部地建においても定員事情が厳しかったこと、人事管理については、若年者の登用による組織の活性化、職員の年齢構成等を踏まえて計画的な人事管理を行うことが求められていたこと及び原告の再採用の経緯等を総合的に判断して、行(一)職員に任用しなかった。なお、中部地建においては、昭和三八年以降、準職員が職転研修及び試験を受けて行(一)職員に任用された例や、準職員がいったん退職して行(一)職員に選考採用された例は、平成四年に原告がいったん退職して行(一)職員に選考採用されるまで存在しなかった。(乙四〇、四一、証人吉田英一)
原告は、当局に対し、身上申告書に「行(一)にして下さい。」と記載するなどして職転要求を継続していたが、全建労東海地本のマンモス行政措置要求運動の一つとして、昭和六三年一一月二四日、人事院に対し、現在の職務内容に見合う行(一)表の適用を求めて、二回目の行政措置要求書を提出したところ、平成四年八月一一日になって人事院事務総局公平局から「採用の経緯、職務内容、研修の受講状況等」について資料提出要求があった後、同年一一月一二日及び同月一三日の二日間にわたって現地調査が行われた。(甲一八一、一八三ないし二〇二、二三八、証人林正順、原告本人)
(一一) 原告は、平成四年一二月七日、豊橋工事事務所の総務課長前田勝(以下「前田総務課長」という。)から、近く定員内職員である建設事務官行政職(一)四級に採用する予定であるが、行(一)職員になると俸給は月額七万円程度上がるが、六〇歳定年で準職員の六三歳よりも短くなる、準職員のままでいるか行(一)職員になるかどちらか選択してほしい旨の通告を受け、全建労東海地本の役員らとも相談の上、同月一〇日、同課長に対し、原告の要求は、行(一)職員への任用、謝罪、実損回復の三点であり、行(一)職員への任用だけでは納得できない旨伝えたが、同月一一日、前田総務課長らから、「条件を付けるなら行(一)になるのを望まないと判断せざるを得ないが、本当にそれでいいのですか。」などと言われたことから、同月一二日、前田総務課長に対し、「辞令をいただきます。」との返事をした。(甲一八一、二三八、証人林正順、原告本人)
そして、原告は、平成四年一二月一五日、準職員をいったん退職し、同月一六日、定員内職員である建設事務官行政職(一)四級に任用し、同級一六号俸を給し、豊橋工事事務所豊川出張所の河川管理指導員に採用し豊橋工事事務所総務課に併任する旨の辞令を受けた。(甲四〇の17ないし20、一八一、原告本人)
ところで、原告に対する右の措置は、平成四年一二月一六日に建設事務官行政職(一)四等級に任用するものであるところ、行(一)職員のうちでも採用候補者名簿がない四級以上の官職については選考による採用が法令上例外的にとりうるものとされていることから、原告について準職員をいったん退職させ、新規に定員内の行(一)職員四級に任用したものであり、このような任用を行ったのは、原告が行(一)職員となった場合の定年の時期が間近に迫り、定員上の観点からも採用の余地が出てきたこと、原告のそれまでの勤務実績から、事務に習熟し、能力の向上により、四級の行(一)職員が行う判断業務も可能と判断されたこと等が総合的に判断されたものであるが、一般にも行われていない特例的措置であり、非常救済措置という側面があったものである。(乙四〇)
なお、原告は、平成四年一二月一六日から平成六年三月三一日に定年退職するまでの間、豊橋工事事務所に行(一)職員である建設事務官として勤務し、共済関係事務等を担当していたが、その職務内容は行(一)職員に任用される前後で質的にも量的にも何ら変わりはなかった。(甲四〇の21、一八一、原告本人)
2 右認定事実によれば、中部地建としては原告を再採用する必要性は少なかったが、原告の強い希望により再採用することとしたものの、競争試験により採用される行(一)職員や選考により採用される定員内の行(二)職員として採用することは困難であったため、自由任用が認められている準職員として採用することとし、愛知国道工事事務所豊橋出張所においては、昭和六〇年改正前の人事院規則九-二の二条三号の事務補助(課内雑務)を担当させていたが、愛知国道工事事務所庶務課庶務係に配置された以降は、電話交換業務に従事していた昭和四八年五月一日から昭和五三年一〇月一五日までの間を除き、準職員を退職した平成四年一二月一五日まで、共済関係事務等の一般事務を担当させていたものであるところ、原告が担当していた右の事務は、定型的な業務が多く、判断、調整を必要とする場面は比較的少なかったものであるが、それでも特別の習熟、ある程度の専門知識、経験を必要とするものであり、また、原告は一定の範囲の事務を一人で分担処理していたものであること、原告が平成四年一二月一六日に行(一)職員として採用された前後を通じて職務の内容が全く変わらなかったこと等を考慮すると、単なる事務補助にすぎないものではなく、行(一)表適用職務に該当するものと認めるのが相当である。
被告は、原告が従事してきた職務は、電話交換補助のほか、雑務、定型的で簡易な事務補助業務であって、いずれも行(二)表適用職務であり、仮に、行(一)職員と外形上類似する業務を行っていたとしても、権限と責任の度合いが異なるから、行(一)職員と同等の職務を行っていたとはいえない旨主張し、証人守田吾朗、同酒井健司、同吉田英一及び同長田辰行は、いずれも右主張に沿う証言をなし、乙二六、三一、三二、四三、四四、五四及び六二の各陳述書にも同様の陳述が記載されているところ、右各証言及び各陳述記載は、原告が定型的で簡易な事務補助をしており、行(一)職員がしているような判断業務はしていなかったと縷々述べているが、されば、原告の担当職務について前任者又は後任者の場合とは異なる配慮が具体的にどのようになされ、原告がしていなかったという判断業務を他の行(一)職員の誰が主務者として行う態勢がとられていたのかなどについて、何ら触れるところがなく、単に抽象的に定型的で簡易な事務補助であったと論難するだけであり、甲五四の1、七七ないし八一の各1、九五、九六、一五九ないし一六三の各1、一六九ないし一七一の各1、一七九の1、一八〇ないし一八二及び二三九の各陳述書、証人久野和光の証言、原告本人尋問の結果に照らしても、たやすく信用し難いものであり、かえって、原告は、採用当初と電話交換業務に従事していた期間を除けば、前任者の行(一)職員と全く同等の事務分担を命じられ、準職員たる行(二)職員ということで職務内容について格別配慮されたようなこともなく、上司の係長がいたとはいえ、係長と係員たる原告の事務分担関係についても、前任者及び後任者の行(一)職員の場合と全く同様であった上、原告の担当した事務について他に行(一)職員の主務者がいたわけでもなかったことなどが認められることからすれば、原告の担当した職務を単なる事務補助業務であったとは到底いうことができないというべきであり、権限と責任の度にしても、それが職務遂行に関与する度という意味であれば、原告は、行(一)職員である前任者及び後任者と全く同等の関与をしていたといわざるを得ないものである。
さらに、被告は、仮に、原告が外形的に行(一)職員と同内容の職務に従事していたとしても、行(一)職員と行(二)職員では、与えられた権限と責任の度において差異があり、その遂行する職務も実質が異なるものである旨の主張もするが、なるほど、同一の職務に従事したとしても職務上の地位に応じて与えられる権限と責任に相違があるのは組織法上は当然のことであるとしても、ここで問題としているのは、職務給の原則の適用上、職務の複雑、困難及び責任の度に基づいて職務が分類されており、その分類の基準となっている標準的な職務内容に照らし、原告の従事した職務内容が行(一)表適用職務であるか行(二)表適用職務であるかの区別であり、責任の度にしても職務に伴う責任を意味するのであって、被告の主張は職務内容自体とは異なる観点から権限と責任の度の差異を論じているにすぎず、次元を異にする議論であって主張自体失当というべきである。
三 不法行為の成否について
1 一次的主張について
原告は、行(二)職員をその官職のまま行(一)表適用職務に恒常的に従事させることは、官職と職務の不一致をきたし、給与の根本基準に違反するものであって違法であり、任命権者としては、こうした違法状態を是正し、職員に対し担当職務に応じた正当な俸給を支給する義務があるから、行(一)表適用職務に恒常的に従事させる職員を行(一)職員に任用する義務を有しており、このような任用権の行使は法的義務であって裁量の余地のないものである旨主張する。
しかしながら、国家公務員の任用は、補充することが必要な業務の職務の級に欠員のあることが前提となり、その業務の内容、職員の能力、定員事情、その他諸般の事情を総合的に判断して行うものであり、任用行為は任命権者の高度な裁量行為であるから、任命権者において、原告に行(一)表適用職務を恒常的に遂行させていたとしても、このことから直ちに原告を行(一)職員に任用すべき法的義務を生ずる理由はないというべきであり、裁量権行使の逸脱ないし濫用の有無が問題となるにとどまるものである。
なお、原告は、昭和四六年七月ころ再採用のための面接を受けた際、守田庶務課長から、「機会を見つけて行(一)職員にする。」との説明を受けていた旨主張するが、右主張に沿う原告本人の供述等は、これを否定する証人守田吾朗の証言及び陳述書(乙二六)に照らしてたやすく措信できず、他に右主張を認めるに足りる的確な証拠は存在しない。仮に、右主張事実が認められたとしても、守田庶務課長の右の発言は、取りあえず試験対象外官職に採用した後、何らかの便法を講じて試験対象官職に異動しようとしたものであり、国公法三六条一項及び人事院規則八-一二の七条を実質的に潜脱しようとしたものと推認されるから、右の発言に法的効果を付与することは許されないものというべきである。
また、中部地方建設局長が昭和五五年八月に原告に職転研修及び試験を受けさせたことも、右はいまだ原告に対して行(一)職員への異動の機会を付与したにとどまるものであるから、原告を行(一)職員に任用すべき法的義務を生じさせるものではない。
さらに、原告が前記第二の三2(一)(1)<1>アにおいて主張するその余の事実も、原告を行(一)職員に任用すべき法的義務を生じさせるものではない。
よって、原告の一次的主張は理由がないというべきである。
2 二次的主張について
原告は、一方で行(二)職員に恒常的に行(一)表適用職務を担当することを命じておきながら、他方で、当該職員の官職を行(二)職員としたまま放置することは国公法等の法令上も認められないことであり、当該職員が担当職務にふさわしい正当な俸給を受けられるよう人事上の裁量権を適切に行使すべきであったものであるところ、原告は昭和五五年八月五日から同月七日にかけて実施された職転研修及び試験を受講し、試験結果も良好であったのであるから、遅くとも同年一〇月一日には原告を行(一)職員に任用できたはずであり、これをしなかったことは、人事上の裁量権の著しい逸脱ないし濫用に当たるもので違法である旨主張する。
(一) 原告を行(一)職員として新規採用する方法について
(1) 国家公務員の任免は、国公法、人事院規則及び人事院指令等の法令に従って行われなければならず、これらの法令に規定する要件を備えない者を任用することは許されない(国公法五五条三項)ものである。
しかして、国公法三三条一項は、国家公務員の任免の根本基準として、「すべて職員の任用は、この法律及び人事院規則の定めるところにより、その者の受験成績、勤務成績又はその他の能力の実証に基づいて、これを行う。」旨規定し、成績主義の原則によることを明らかにしているところ、人事院規則八-一八(採用試験)四条二項の規定する別表第一において採用試験の対象となる官職が定められており、行(一)職員については、一級から三級までの官職が採用試験の対象とされており、二級以下の級の官職への任用に関する特例を定めた人事院規則八-一三(行政職俸給表(一)の二級以下の級の官職等への任用候補者名簿による職員の任用に関する特例等)においても、この原則が維持されている。また、国公法三六条一項ただし書は、「人事院規則の定める官職について、人事院の承認があった場合は、競争試験以外の能力の実証に基づく試験(以下選考という。)の方法によることを妨げない。」と規定し、例外的に選考採用の方法を定めているが、これを受けた人事院規則八-一二(職員の任免)は、八三条により、採用候補者名簿がない官職又は昇任候補者名簿がない官職についても、選考により職員を採用し、又は昇任させることができると規定していることから、行(一)職員については、採用候補者名簿が作成されていない四級以上の官職について例外的に選考による採用が認められている。
右の例外的に選考による採用が認められている行(一)職員の四級の官職は、級別標準職務表(給与法六条三項、人事院規則九-八第三条別表第一)によれば、「一 本省、管区機関又は府県単位機関の係長又は困難な業務を処理する主任の職務、二 地方出先機関の相当困難な業務を分掌する係の長又は困難な業務を処理する主任の職務、三 特定の分野についての特に高度の専門的な知識又は経験を必要とする業務を独立して行う専門官の職務」が掲げられており、建設省における地方建設局内の工事事務所の係長クラスがこれに相当するものである。ところで、職員の昇任は、国公法上は、下位の官職の在職者の間における競争試験によるのが原則とされている(国公法三七条一項本文)が、現在まで昇任のための競争試験は行われていないため、昇任候補者名簿のない場合として、すべて選考で行われており、選考の方法については、人事院規則八一一二の四四条により、「選考される者の当該官職の職務遂行の能力の有無を選考の基準に適合しているかどうかに基づいて判定するものとし、必要に応じ、経歴評定、実地試験、筆記試験その他の方法を用いることができる。」とされ、選考の基準については、同規則四五条に規定があるが、同規則九〇条一項において、指定日前においては、四五条の規定にかかわらず、「本省庁の課長等の官職についての選考は、人事院がその定める基準により行い、その他の官職についての選考は、任命権者が選考機関としてその定める基準により行うもの」とされている。
したがって、四級以上の官職について例外的に選考による採用が認められるとはいえ、係長以上の官職に外部から任用されることは例外であって、通常は同じ行(一)職員の下位の職員から、選考により順次昇任していくことが予定されており、行(一)職員の場合、四級より下位の職員は競争試験の合格者から採用されていることからすれば、四級以上の官職への選考による採用は、人事の公平に配慮し、職員の経歴、知識、技能、勤務実績等を総合的に評価して行わなければならないものであり、こうした選考による採用を行う場合には、国公法等の法令の定める成績主義の原則との関係において脱法的に行われてはならず、脱法的な任用行為が行われた場合には、その任用行為自体が違法になるものというべきである(国公法五五条三項)。
以上検討したところからすれば、原告を行(一)職員に新規採用するには、競争試験又は選考のいずれかの方法しかなく、選考による場合は、対象官職が限定されている上、人事の公平に配慮し、職員の経歴、知識、技能、勤務実績等を総合的に評価して行わなければならないものである。
(2) そこで検討するに、競争試験による場合には任用されるか否かは試験結果によるものであり、これによって原告が任用されるかは全くの未知数である上、そもそも競争試験を受けていない原告をこの方法によって任用することができなかったことは明らかである。
他方、選考による場合は、対象官職が四級以上に限定されている上、対象官職に欠員のあることが前提となるところ、前記第三の二1(二)のとおり、中部地建の定員事情は、昭和五七年度から平成三年度まで実施された第六次及び第七次定員削減計画の実施期間中が特に厳しい状況にあったこと、前記第三の二1(一)及び(二)のとおり、原告は、昭和三二年に建設省に採用された際も非常勤職員として自由任用され、その後、昭和三六年に前記第三の一1(八)記載の定員化により行(一)職員に転任されたものであり、昭和四六年の再採用の際も非常勤職員として自由任用されたものであって、行(一)職員の基本的な採用形態である競争試験によって採用されたものではないこと、前記第三の二1(二)ないし(九)で認定したとおり、原告の担当した職務の内容は、単なる事務補助ではないとはいえ、行(一)職員が担当する職務の中では、定型的な業務が多く、判断、調整を必要とする場面が比較的少ないものであること等を総合考慮すると、中部地方建設局長が平成四年一二月一六日まで原告を行(一)職員に選考採用しなかったことが、人事裁量権の逸脱ないし濫用に当たるとは認められないものというべきである。
なるほど、原告は、準職員たる行(二)職員の官職のまま恒常的に行(一)表適用職務を遂行していたことからすれば、任命権者においては、こうした違法状態を是正すべき義務があったとはいえるにしても、その方法としては、原告の担当職務を行(二)表適用職務にするという方法もあり、原告を行(一)職員に任用しなければ違法状態を是正できないわけではないから、このような事情があるからといって、原告を優先的に行(一)職員に選考採用しなければならないものとはいえず、その任用に当たっては、国公法等の規定する成績主義の原則に適合し、かつ、競争試験によって採用されている一般の行(一)職員との任用(昇任を含む)における平等に配慮しなければならないのであるから、任命権者である中部地方建設局長に人事裁量権の逸脱ないし濫用はなかったものというべきである。
また、前記第三の一1(九)で認定したとおり、中部地建においては、準職員を定員内職員に異動させることは原則として行わないものとされていたところ、準職員(常勤労務者)の新規採用については、昭和三六年閣議決定により原則として禁止され、定員外職員の定員内職員化についても、昭和三七年閣議決定により定員繰入れ措置を終了するとの方針が決定されたことから、定員に欠員があったとしても、その欠員を準職員から補充することはたやすく行えなくなったものであり、特に行(一)職員として定員化することは、成績主義の原則との関係で問題を生じ、準職員であるからといって行(一)職員としての任用の要件が緩和されるべきではないから、その定員化は容易ではなかったところ、このような準職員の採用抑制と定員繰入れを制限する施策は、定員管理をより確実なものとするとともに、国家公務員の任用について成績主義の原則を維持するためには一定の合理性を有するもめであるから、こうした見地に沿って人事権を行使することが裁量権の逸脱ないし濫用になるとは解し難いものである。
なお、被告は、平成四年一二月一六日に原告を建設事務官行政職(一)四級に任用しているが、この時期にこのような任用ができた理由として、原告が行(一)職員となった場合の定年の時期が間近に迫ってきたことから、定員上の観点からも採用の余地が出てきたこと、原告が、それまで共済関係事務等に補助的に従事してきており、事務への習熟、能力の向上により、行(一)職員が行う判断業務も可能と判断したこと等、総合的な判断の下に特例的措置として選考採用により対応した旨説明しているところ、原告に対する右の措置は、原告がこれまで一度も従事したことのない河川管理指導員に採用されていることからも明らかなとおり、全くの特例的措置であったことが明白であり、非常救済措置として実施された側面が濃厚であったことが窺えるから、これをもってもっと早期に同様の措置をとらなかったことが人事裁量権の逸脱ないし濫用になるとはいえない。
(二) 原告を行(一)職員に異動する方法(定員内の行(二)職員を経て行(一)職員に配置換する方法を含む。)について
中部地建では、定員内の行(二)職員に職転研修及び試験を受けさせ、これにより行(一)職員への職転(配置換)を実施する運用を行っていたこと、また、準職員を定員内の行(二)職員に異動し、その後、行(一)職員に配置換する方法が存在することは、前記認定及び説示のとおりである。
しかし、右の定員内の行(二)職員を行(一)職員に職転する措置は、前記第三の一1(一〇)で認定したとおり、建設省の事業方式が直営から請負に切り替えられて、行(二)表適用職務が徐々に減少したため、定員内の行(二)職員の一部の者に行(一)表適用職務を行わせていたことから、これらの者を行(一)職員に職転したものであるところ、定員内の行(二)職員は終身雇用であるから、任命権者としては、定員内の行(二)職員の担当職務が少なくなれば、その雇用を維持するために、職務研修等を実施するなどしてこれらの者を新たな職務に付ける義務があり、右の職転措置は右の義務に基づいてなされたものと認められるのに対し、準職員は定員外の期間限定職員であるから、担当職務がなくなれば雇用は終了するのが本来の取扱いであり、任命権者において、職務研修等を実施するなどして新たな職務に付ける義務は存在しないのであるから、中部地方建設局長が準職員を行(一)職員に職転しなかったとしても、これをもって準職員に対する不当な差別的取扱いであるということはできない。
そして、前記認定及び説示のとおり、昭和三六年及び昭和三七年の各閣議決定により、準職員の定員化につき原則としてこれを行わないとの方針が不合理なものとはいえないこと、第六次及び第七次定員削減計画の実施により、昭和五七年度から平成三年度まで定員事情が特に厳しかったこと、昭和五八年閣議決定により、技能・労務職員の採用は公務遂行上真に必要な場合を除き昭和五九年度以降行わないものとされたため、同年度以降において準職員を定員内の行(二)職員に異動することは一層困難になったこと等を総合考慮すると、中部地方建設局長が原告を定員内の行(二)職員に異動しなかったり、行(一)職員に任命換しなかったことをもって、人事裁量権の逸脱ないし濫用に当たるということはできない。
(三) 原告を準職員のまま行(一)職員に配置換する方法について
原告は、準職員のまま行(一)職員に配置換する方法があると主張しているところ、人事院規則八-一四は、非常勤職員を競争試験により採用しなければならない官職へ選考によって異動させる場合は、異動させられる職員は、当該官職への採用候補者名簿又は当該官職と職務の種類が類似する他の官職への採用候補者名簿に記載された者でなければならない(二条二項)として、その異動を制限しているが、非常勤職員としての異動は、競争試験又は選考のいずれにもよらないで行うことができる(二条一項ただし書)としており、準職員についても、昭和三六年六月一日以降引き続き在職する二箇月以内の任期を限られた常勤職員の他の官職への異動は、なお従前の例による(四条)とされ、人事院規則八-一四の運用について(通知)によって、従前の例によるとの意味について、二箇月以内の任期を限られた常勤職員としての異動及び非常勤官職への異動は、競争試験又は選考のいずれにもよらないで行うことができ、選考によって異動させようとする官職が競争試験により採用しなければならない官職である場合でも、二箇月以内の任期を限られた常勤職員として異動する場合には、成績主義による制限を受けないものとされているから、昭和三六年六月一日以降引き続き在職する準職員については、選考によることなく、準職員のまま行(一)職員に異動させることが禁止されていないものと解する余地がある。
しかし、定員内職員たる行(一)職員への任用については、成績主義の原則が厳格に適用されていることからすれば、準職員のまま行(一)職員に任用することを安易に認めることは、その任用制度をなしくずしにするものであって適当とは言い難い上、実質的にみて定員法の規定を潜脱する結果にもなること、また、原告は昭和三六年六月一日以降に新規採用されたものであり、昭和三六年六月一日以降に新規採用された準職員について、従前と同様の取扱いを認めることは、昭和三六年及び昭和三七年の各閣議決定の趣旨にも反するものであること等を考慮すると、仮に、準職員のまま行(一)職員に配置換することが法令上禁止されていないと解する余地があるとしても、中部地方建設局長が原告についてこうした任用行為をしなかったことが、裁量権の逸脱ないし濫用に当たるとは認め難いというべきである。
(四) 原告が人事裁量権の逸脱ないし濫用として主張する事由について
(1) 昭和四六年七月の再採用面接の際に、守田庶務課長が、「機会を見つけて行(一)職員にする。」旨説明した事実が認められないこと、仮に認められたとしても、右の説明に法的効果を付与することは許されないものというべきであることは、前記説示のとおりである。
(2) 原告が、機会があれば行(一)職員に任用されることを信じて、長期間にわたって恒常的に行(一)職員と全く遜色なく行(一)表適用職務に従事してきたとしても、また、原告が昭和五五年に実施された職転研修及び試験を受け、その結果が良好であったとしても、さらに、原告以外の他の職転受講者であえて職転を希望しなかった者以外は、最終的には全て職転がなされているとしても、前記(一)ないし(三)で説示した各事由にかんがみれば、中部地方建設局長が原告を行(一)職員にしなかったことが人事裁量権の逸脱ないし濫用に当たるものとはいまだ認めることができない。
(五) よって、右(一)ないし(四)のとおり、原告の二次的主張も理由がないというべきである。
3 三次的主張について
(一) 行(二)職員にその担当職務として行(一)表適用職務を恒常的に命ずることの違法性について
国公法は、国家公務員の官職について、職務の種類及び複雑と責任の度に応じて分類整理しなければならないとして、職階制の確立を要求し、職階制においては、同一の内容の雇用条件を有する同一の職級に属する官職については、同一の資格要件を必要とするとともに、かつ、当該官職に就いている者に対しては、同一の幅の俸給が支給されるように官職の分類整理がなされなければならないと規定し(国公法二九条二項、三項)、これを受けて、昭和二五年五月、国家公務員の職階制に関する法律(以下「職階法」という。)が制定されたものの、「職種の名称及び定義」、「職階制に基づく給与準則」がいまだ策定されていないため、現在まで実施されていない。しかしながら、職階制の考え方は、国家公務員の官職の分類を基礎付けているものとして現在既に妥当している原則であり、現在、職階法に代わってその役割を果たしているのは、一般職については、給与法で定められている職務分類であるが、給与法六条一項により、九種類一七表の俸給表が作成されており、職員の職務は、指定職俸給表の適用を受ける場合を除き、その複雑、困難及び責任の度に基づき俸給表に定める職務に分類することとされ、その分類の基準となるべき標準的な職務の内容は、人事院が定めることとされ、これを受けて、人事院規則九-八により、級別標準職務表が策定され、職員の具体的な級の決定は、標準職務表に基づき、級別定数の範囲内で、級別資格基準に適合して行わなければならないとされているものである。
官職を、職務の種類及び複雑と責任の度によって分類する職階制の考え方が採用されたのは、こうした分類が、公務員の採用試験、任用、給与その他人事行政の各分野において、最も広く、かつ、最も有効に活用できると考えられたからであり、国公法制の目的である「国家公務員たる職員について適用すべき各般の根本基準(職員の福祉及び利益を保護するための適切な措置を含む。)を確立し、職員がその職務の遂行に当り、最大の能率を発揮し得るように、民主的な方法で、選択され、かつ、指導さるべきことを定め、以て国民に対し、公務の民主的且つ能率的な運営を保障する」ことを根幹から支える原則として位置付けられるものであるところ、この法原則の意義は、公務の民主的で能率的な運営を実現するため人事行政の公正を確保するというだけではなく、職員の福祉及び利益の保護、特に、職員に対して官職の分類に応じて平等な勤務条件を保障するというところにもあるものであって、人事裁量権の行使に当たっても、最大限の配慮が払われなければならないものである。
とりわけ、職員の給与については、国公法六二条において、給与の根本基準として、「その官職の職務と責任に応じてこれをなす」ものと規定し、職務給の原則を明らかにするとともに、職員の給与は法律に基づいて決定するとして給与法定主義が定められ、給与準則こそいまだ制定されていないものの、現在、これに代わる役割を果たしている給与法において、職員の受ける俸給は、その職務の複雑、困難及び責任の度に基づき、かつ、勤労の強度、勤務時間、勤労環境その他の勤務条件を考慮したものでなければならないとし、具体的には俸給表を適用することによって決定されており、官職の任用と俸給の決定は俸給表に従って一体として行われているものである。
こうした俸給表は、職務の種類、態様等が共通かどうか、級の区分あるいは俸給の幅を共通とすることが可能かどうか、適用される職員数が相当数あって独立の俸給表とする価値があるかどうかなどについて検討した結果定められているものであり、職員の従事する職務の種類、態様等によって、まず俸給表の種類が決定され、次に、職員の級及び号俸の決定により、その俸給が具体的に確定されるものであるが、官職の任用は、俸給表に従ってなされなければならず、職務分掌を決定し、職員ごとに本務となる担当職務を割り振り、職務命令を発するについても、俸給表に基づく官職の分類に従ってなされなければならないものである。職員においても、法律、命令、規則又は指令による職務を担当する以外の義務を負わないとされているが(国公法一〇五条)、これは、任用された官職外の職務について義務を負わないとの趣旨を含むものである。
もとより、併任発令することにより、本務外の職務を行わせることは可能であり、職務と関連性又は付随性のある業務、臨時的な応援業務、緊急時の応急措置業務を命ずることが直ちに違法となるわけではないが、行(二)職員に対し、職務命令により、本務として恒常的に行(一)表適用職務を担当させ、これに従事させることは、給与の根本基準に違反し、給与法等によって保障された法定の勤務条件を侵害するものであって、違法な職務命令となるというべきである。
ところで、被告は、昭和四六年の再採用の際、原告が一般事務を希望していたことから、原告の意思を尊重した結果、右の職務命令を発したものであり、原告も当該職務を行うこと自体はその意思に適うものであったこと、原告に担当させるべき行(二)表適用職務がなければ雇用を打ち切ることもあり得たが、原告の生活保障も考慮して右の職務命令を発していたものであることを理由として、右の職務命令に違法性がない旨の主張をするが、右の各事由は、後記のとおり、慰謝料を算定する際に斟酌すべき事由ではあるものの、強行法規である給与の根本基準に関する法規に違反したその違法性を阻却するに足りる事由とは認められない。
また、被告は、職員が本来の職務以外の職務命令に応じた場合は、国公法一〇五条の義務免除の利益を放棄したものとして、当該職務命令の瑕疵はなくなる旨主張するところ、右の主張は、併任発令がされていないときの応援命令等のように瑕疵の程度がそれほど大きくない場合には妥当するとしても、本件のように給与の根本基準に違反し、給与法等によって保障された法定の勤務条件を侵害するような場合には妥当しないものと解するのが相当である。
(二) 期特権侵害の主張について
原告は、担当する職務にふさわしい正当な俸給を受給する期待権を侵害されたところ、原告の再採用時における守田庶務課長の原告に対する説明、長期間にわたる恒常的な行(一)表適用職務への配置並びに原告に対する職転研修及び試験の実施等の事情を考慮すれば、原告の右期待権は法的に保護されるべきものである旨主張する。
しかし、行(一)職員の待遇を受けるためには行(一)職員への任用行為が必要であるところ、任用行為は任命権者の裁量行為であり、前記説示のとおり、任命権者である中部地方建設局長が原告を行(一)職員に任用しなかったことが人事裁量権の逸脱ないし濫用に当たらないことからすれば、原告の右の行(一)職員と同じ待遇を受けるという期待はいまだ主観的なものにすぎず、原告が主張する右の各事由から原告の期待権が法的保護に値するものということはできない。
したがって、原告の右期待権侵害の主張は理由がない。
4 三次的主張による損害について
(一) 原告は、行(二)職員の官職のまま恒常的に行(一)表適用職務に従事させられてきたのであるから、行(一)職員としての待遇を受けられるものと期待するのは当然であり、かかる期待は法的利益として保護されるべき程度に達しているとし、期待利益の侵害による損害は、行(一)職員として任用された場合の得べかりし給与と行(二)職員として現実に受けた給与との差額と一致する旨主張するが、原告の右のような期待が法的利益として保護すべき程度に達していないものであることは前記説示のとおりである。
なお、原告は、行(二)職員の官職にあったにもかかわらず、違法な職務命令により、本務として恒常的に行(一)表適用職務を担当し、その職務を遂行してきたところ、給与については行(二)職員としての俸給を受けたにとどまるものであり、その遂行した職務の複雑、困難及び責任の度からして、これにふさわしい給与の支払を受けていなかったとはいえるとしても、他方で、行(一)職員に任用される法的権利を有していたわけではないこと、公務員の給与については職務給の原則が定められているとはいえ、同一労働同一賃金の原則が保障されているわけではなく、本務として恒常的に行(一)表適用職務を行ったからといって、行(一)表による俸給請求権が発生するわけではないこと、個々の職員の遂行する職務の質及び量は、個々人の能力、知識、経験等に左右される上、職場における人員配置の状況、業務の状況等により繁忙の程度にも差があるところ、これらが俸給に直ちに反映されるわけではなく、俸給は、あくまで、任用された官職の地位に対応して発生するものであることなどを総合的に考慮すれば、原告が提供した労務の価額を行(一)表の俸給表によって算定してその損害を評価することは相当とは言い難く、本件においては、むしろ原告がその官職に比し、複雑、困難及び責任の度において、より重い職務に従事したことによる精神的及び肉体的苦痛こそが損害であるというべきであり、その慰謝料を算定して賠償させるのが相当である。
(二) しかして、後述のとおり、原告の被告に対する国家賠償法一条に基づく損害賠償請求権は、原告が本件訴訟を提起した平成五年二月二五日から三年以前の分は消滅時効が成立しているから、損害賠償の対象となる期間は平成二年二月二五日から平成四年一二月一五日までであること、右の期間の原告の職務内容は、共済関係事務、福利厚生関係事務、健康管理関係事務、費用徴収事務等であり、単なる事務補助ではないとはいえ、行(一)職員が担当する職務の中では、定型的な業務が多く、判断、調整を必要とする場面が比較的少ないものであること、原告自身、炊婦等の労務を内容とするような行(二)表適用職務を行うことは希望していなかったもので、一般事務を行うことが原告本人の希望でもあったこと、原告は、二か月以内の任期を限られた定員外の常勤職員であり、雇用の継続について法的保障があったわけではなく、行(二)表適用職務のみを担当するとした場合、適当な職務がなく雇用終了のおそれもあったこと、その他、本件に現われた全ての事情を斟酌すれば、原告が、中部地方建設局長の違法な職務命令によって受けた精神的及び肉体的苦痛に対する慰謝料としては、一〇〇万円をもって相当と認める。
5 謝罪広告について
原告は、原告が違法な職務命令によって受けた損害は、単に金銭賠償によっては回復され得ないものであるとして謝罪広告を求めているところ、なるほど、原告が違法な職務命令によって精神的及び肉体的苦痛を受けたとはいえ、人格的価値に対する社会的評価を低下させるような侵害行為があったとは認められず、本件は金銭賠償によって損害回復可能な事案であるから、原告の謝罪広告の請求は理由がないというべきである。
6 消滅時効について
(一) 原告が本件訴訟を提起したのが平成五年二月二五日であることは、本件記録上明らかであるから、原告の被告に対する国家賠償法一条に基づく損害賠償請求権は、平成五年二月二五日から三年以前の分は消滅時効が成立しているものである。
原告は、消滅時効の起算点である「損害を知りたる時」は、原告が行(一)職員に任用された平成四年一二月一六日であるから、いまだ消滅時効は成立していない旨主張する。
しかし、原告は、自分が準職員たる行(二)職員であるのに行(一)表適用職務に従事していたことを認識していたからこそ、昭和五四年一二月ころ人事院に対して行政措置要求をしたものであるから、前記慰謝料請求については、右昭和五四年一二月以前から損害の発生を認識していたものと認められる。
したがって、原告の右主張は認められない。
(二) 原告は、被告(中部地方建設局長)は、原告に対し、行(一)職員にすることを約束してはこれを引き延ばしてきたものであり、このような対応を繰り返してきた被告(中部地方建設局長)が消滅時効を援用することは、信義誠実の原則及び禁反言の原則に反するもので権利の濫用である旨主張する。
しかし、被告(中部地方建設局長)が原告に対して行(一)職員に任用する旨約束した事実は、本件全証拠によるもこれを認めることができない。また、原告が人事院に対して行政措置要求をしていたとしても、それが被告に対して損害賠償請求訴訟を提起するにつき妨げになるとは解することができない。
したがって、原告の右主張も採用できない。
四 不当利得の成否について
原告は、原告が行(一)職員に任用され俸給について行(一)表の適用を受けていれば得られた給与と現に受けていた給与との差額分相当の損失を受け、被告は右と同額の利得を得た旨主張する。
しかし、前記第三の三4(一)に説示したとおり、原告は行(一)職員に任用される法的権利を有していたわけではなく、中部地方建設局長が原告を行(一)職員に任用しなかったことが人事裁量権の逸脱ないし濫用にも当たらないこと、公務員の給与については職務給の原則が定められているとはいえ、同一労働同一賃金の原則が保障されているわけではなく、本務として恒常的に行(一)表適用職務を行ったからといって、行(一)表による俸給請求権が発生するわけではないこと、個々の職員の遂行する職務の質及び量は、個々人の能力、知識、経験等に左右される上、職場における人員配置の状況、業務の状況等により繁忙の程度にも差があるところ、これらが俸給に直ちに反映されるわけではなく、俸給は、あくまで、任用された官職の地位に対応して発生するものであることなどからすれば、原告が主張するような損失が原告に生じたものとは認めることができないし(原告の損害は、前記第三の三4(二)の精神的及び肉体的苦痛にとどまるものであり、かかる損害は慰謝料によって賠償されるべきものである。)、また、被告に利得が発生したものとも直ちに認めることができない。
したがって、その余の点について判断するまでもなく、原告の不当利得返還請求についての主張は理由がないというべきである。
五 結論
以上の次第で、原告の本訴請求は、主文認容の限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法六一条、六四条を、仮執行の宣言について同法二五九条一項、仮執行免脱宣言について同法二五九条三項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 林道春 裁判官 田近年則 裁判官 佐藤久文)
別紙<省略>